2008年2月23日土曜日

進歩主義・進歩信仰

 Paul TherouxのMy Extended Family(1977)を読むと、Ugandaの状況が、悪化しこそすれ、30年経っても一向に改善していないことに愕然とする。
 それとも関連するが、最近考え始めているのは次のようなことである。
 我々は社会・組織・共同体における状況を改善するために行動しているのであり、きちんと物事を進めれば必ず事態は良い方向に向かうはずであり、そのためには自己のみならず権力をも含む他者を批判することは絶対必要条件であり、そしてそれを保障するために思想・表現・言論・信仰などの「自由」というものがア・プリオリに存在するのだ、という考え方の下に20世紀後半に育った日本人は教育を受けた。そして曲がりなりにも日本という国はここまで何とか立ち直ってきた。(最近の日本の危なっかしさはここでは問わない。)
 しかし、そういう進歩主義(「信仰」というべきか)が社会全体に極めて強固に根付いているのは、ひょっとしたら世界でもユーラシア大陸の東西の端と北米大陸ぐらいなのではないか。
 少なくともこれまで自明の理だと信じ込んでいたものが、ひょっとしたら人類に「真の意味で」共有されているわけではないのではないか、という疑いのようなものが芽生え始めていることも事実である。

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