2008年7月14日月曜日
Kanun
文化・伝統・信仰の自由などという口実のもとに外部からの批判に耳を傾けようとしない事例は世界中で枚挙に暇がない。しかしあまり知られていないAlbaniaのこの問題も地球人としての人権の問題として国連人権法廷あたりに拘束力を持たせて解決への道を探る必要があると思う。
Tradition of blood feuds isolates Albanian men
Tradition of blood feuds isolates Albanian men
小林多喜二「蟹工船」
最近日本の若者の間で広く読まれているという。
30年ぶりに読み返した。この80年前のプロレタリア小説に共感を覚える若者が増え、書店に平積みまでされる時代が来るとは思わなかった。
もちろん、若いやつにも多喜二のすばらしさが分かるか、とか、若い世代の文学回帰が始まったか、などと喜ぶような単純な話ではない。下関、秋葉原などの事件や「ワーキング・プア」(寧ろ被搾取労働者階級と呼ぶべきだろう)急増問題などと背景を同じくするものと捉えるべきである。
既に何人もの人が指摘している如く、こことここを修正すれば、というような個別的な問題ではなく、政治・社会・経済・教育・文化、あらゆる要素が絡み合った、日本社会に極めて構造的な問題であり、高度に知性的なリーダーシップのもとでの抜本的な革命が必要だ。
戦後日本社会が最大の危機を迎えつつある。
30年ぶりに読み返した。この80年前のプロレタリア小説に共感を覚える若者が増え、書店に平積みまでされる時代が来るとは思わなかった。
もちろん、若いやつにも多喜二のすばらしさが分かるか、とか、若い世代の文学回帰が始まったか、などと喜ぶような単純な話ではない。下関、秋葉原などの事件や「ワーキング・プア」(寧ろ被搾取労働者階級と呼ぶべきだろう)急増問題などと背景を同じくするものと捉えるべきである。
既に何人もの人が指摘している如く、こことここを修正すれば、というような個別的な問題ではなく、政治・社会・経済・教育・文化、あらゆる要素が絡み合った、日本社会に極めて構造的な問題であり、高度に知性的なリーダーシップのもとでの抜本的な革命が必要だ。
戦後日本社会が最大の危機を迎えつつある。
2008年7月13日日曜日
Frankfurt空港
他のEU国へ行くたびに、ひどいインフレ下にあるとは言えやはりブルガリアはまだまだ暮らしやすい国だなあといつも思う。
今回の出張で乗り換えに利用したFrankfurt空港の中にとても良心的な店を一つ見つけた。Terminal1のLevel1にあるKampsという店だ。いつも列ができているが、並んでいるのはほとんど空港職員かクルーばかり。言うまでもなくこういう店は間違いがない。コーヒーがカップで1.5€、いっぱい入ったTo goで2€。買わなかったがサンドイッチ類も2€台でおいしそうなものがたくさん並んでいた。他の店の概ね半分から3分の1の価格といってよいだろう。
この空港をご利用になる際にはここをお勧めする。
今回の出張で乗り換えに利用したFrankfurt空港の中にとても良心的な店を一つ見つけた。Terminal1のLevel1にあるKampsという店だ。いつも列ができているが、並んでいるのはほとんど空港職員かクルーばかり。言うまでもなくこういう店は間違いがない。コーヒーがカップで1.5€、いっぱい入ったTo goで2€。買わなかったがサンドイッチ類も2€台でおいしそうなものがたくさん並んでいた。他の店の概ね半分から3分の1の価格といってよいだろう。
この空港をご利用になる際にはここをお勧めする。
2008年7月11日金曜日
2008年度欧州日本語教師研修会@アルザス
本日で自分の担当科目が二つとも終了した。参加者のみなさんと一緒に楽しく飲んだ今夜のワインはとりあけうまかった。ワインCaveでいろいろ試飲させてもらって愛想のいいおじいちゃんから買ったワインだったということも手伝っていただろう。
アルザスは予想以上にすばらしかった。しかしあさってはわが愛するSofiaに帰る。
アルザスは予想以上にすばらしかった。しかしあさってはわが愛するSofiaに帰る。
2008年7月9日水曜日
2008年7月8日火曜日
ソクラテスと懐疑
いまアルザスの深夜である。日付も変わろうとしている。早朝コウノトリたちが降り立っていた草原をいま涼しく夜風が吹き渡る。
Socratic Skepticismをきっかけに(プラトンが描く)ソクラテスを少し読み直し始めたところである。
願わくば、我々の新しいAgora Sofiaもこのような対話を目指す「広場」にしたいものだ。
Socratic Skepticismをきっかけに(プラトンが描く)ソクラテスを少し読み直し始めたところである。
願わくば、我々の新しいAgora Sofiaもこのような対話を目指す「広場」にしたいものだ。
2008年7月6日日曜日
成長
教え子からの久しぶりのメール。
「なにはともあれ、僕は僕の必要に応じて、出来る事を一つ一つやるしかない。」
全文を引用するとその人の素性が分かってしまうので控えるが、いろいろと大変な人生を抱えつつも彼が一歩一歩着実に成長していることを如実に物語るような文章だった。そのことがとてもうれしい。
明日より1週間アルザス出張。余裕があればアルザスの山あいでブログを書く。
「なにはともあれ、僕は僕の必要に応じて、出来る事を一つ一つやるしかない。」
全文を引用するとその人の素性が分かってしまうので控えるが、いろいろと大変な人生を抱えつつも彼が一歩一歩着実に成長していることを如実に物語るような文章だった。そのことがとてもうれしい。
明日より1週間アルザス出張。余裕があればアルザスの山あいでブログを書く。
2008年7月1日火曜日
京都教育大学職員サッカー部紅白戦のお知らせ
部員の方々には既に村田監督よりご案内があったと思いますが、7.12.(土)朝8時ホイッスルです。場所などの詳細については監督までお問い合わせ下さい。新聞報道等でご存じの通り私は既にブルガリアでレフスキ・ソフィアとプロ契約を結んでおり皆さんのようなアマチュアと遊んでいる暇はありません。遠くから応援させていただくことにします。怪我にだけは気をつけて好試合を。
現代ブルガリア文学
Nominees for novel of the year award announced
現代ブルガリア文学にいまもっとも必要なのは、激動の現代ブルガリア社会に生きる「普通の人々」を描くことのできる本当に優れた作家だろう。
現代ブルガリア文学にいまもっとも必要なのは、激動の現代ブルガリア社会に生きる「普通の人々」を描くことのできる本当に優れた作家だろう。
2008年6月30日月曜日
"Da, da. = Ne."?
メールで”Da, da.(Yes, yes.)"と返事したら、ブルガリア語ではそれは”Ne.(No.)"と同じ意味になることがあると教えられた。詳しく聞いてみると、確かに英語とも日本語とも異なる用法が存在するようだ。少し性格は異なるものだが、ちょうどきょう読んだジョークを思い出した。
“In some languages,” said the Oxford philosopher J. L. Austin, “a double negative yields an affirmative. In other languages, a double negative yields a more emphatic negative. Yet, curiously enough, I know of no language, either natural or artificial, in which a double affirmative yields a negative.”
“Suddenly, from the back of the hall, in a round Brooklyn accent, came the comment, ‘Yeah, yeah.’”
(Stop Me If You’ve Heard This: A History and Philosophy of Jokes, by Jim Holt (Norton))
“In some languages,” said the Oxford philosopher J. L. Austin, “a double negative yields an affirmative. In other languages, a double negative yields a more emphatic negative. Yet, curiously enough, I know of no language, either natural or artificial, in which a double affirmative yields a negative.”
“Suddenly, from the back of the hall, in a round Brooklyn accent, came the comment, ‘Yeah, yeah.’”
(Stop Me If You’ve Heard This: A History and Philosophy of Jokes, by Jim Holt (Norton))
2008年6月29日日曜日
Matthew Dickman再び
僕が彼の詩に惹かれる理由の一つには僕の育った地域や出身階級というものが恐らくあるのだろう。僕自身が彼が詩に描いているような世界を共有していたというわけでは無論ないが、間違いなく僕はそういう環境に取り巻かれて子供時代を過ごしたのである。Matthew Dickman
タルノヴォ
きのうは新年度ブルガリア日本語教師会の新企画「懇談会」(仮称)と「Sofia日本語研究会」の第7回例会をVeliko Turnovo大学で開催した。全国から10名(ブルガリア人教師のみなさんのほとんどすべて)の参加を得ることができ、大成功だったと言えるだろう。総意で今後の継続開催も決まった。
Sofiaへの帰途の車中、ブルガリア語ができない駒田大先生をほったらかしてSofia組が歌っていた歌の一つが下記の歌。僕のブルガリア語学習のテクストの一つにしよう。
Тангра - "Богатство"
Sofiaへの帰途の車中、ブルガリア語ができない駒田大先生をほったらかしてSofia組が歌っていた歌の一つが下記の歌。僕のブルガリア語学習のテクストの一つにしよう。
Тангра - "Богатство"
2008年6月27日金曜日
リーダーと教養
決して難しいことではない。社会科学系のどんな科目でもよい、大学の1年生を対象とするような初歩的な概論をまじめに聞いてさえいれば陥るはずのない無知の穴にこれほどどっぷりと嵌り込んでいる「リーダー」が多いのは一体なぜなのだろう。
Italy fingerprint plan criticised
Italy fingerprint plan criticised
Geisha, Fujiyama, Harakiri, Samurai...
浅薄なステレオタイプと切り捨てるのも簡単なのだが、いわゆる「日本研究」の領域においてさえも大同小異の視点が散見されることがあることについてはいかがなものかと思うことがある。
Renewed respect as geisha make a comeback - and take to cyberspace
Renewed respect as geisha make a comeback - and take to cyberspace
2008年6月26日木曜日
今日のBarbara Ehrenreich
Liposuction: The Key to Energy Independence
彼女の能力を持ってすればこの程度はお遊びだが、それでもすばらしい。悪名高い私の毒舌も彼女の前には児戯に等しい。
彼女の能力を持ってすればこの程度はお遊びだが、それでもすばらしい。悪名高い私の毒舌も彼女の前には児戯に等しい。
2008年6月24日火曜日
「ご近所の力」
Won’t You Be My Neighbor?
ウェブ社会化の進展に伴い「隣人」の定義も拡大、変容を遂げつつある。この記事で取り上げられている問題も高度資本主義化が進んだ社会における都市化の現われだと考えられる。いずれアメリカ合州国や日本のみの現象だとは言われなくなるだろう。
ウェブ社会化の進展に伴い「隣人」の定義も拡大、変容を遂げつつある。この記事で取り上げられている問題も高度資本主義化が進んだ社会における都市化の現われだと考えられる。いずれアメリカ合州国や日本のみの現象だとは言われなくなるだろう。
Vladimir Galaktionovick Korolenko「樺太脱獄記」
原作もすばらしいのだろうし、鷗外訳も実にすばらしい。ロシア語が使える日本研究者や日本語が使えるロシア研究者のみなさんには、偉大な才能たちのこのような幸福な出会いを入り口として学習や研究に入ってゆく道もあるのだ。うらやましく感じる。
2008年6月23日月曜日
2008年6月22日日曜日
生きる哀しみ
Michael Agresta, Mugger and Mouse get married
僕の好きな簡潔な文体で書かれていることもあるのだろうか、いい短編だと思う。
"They live happily ever after."で結ばれているが、僕にはこの短編の中には哀しみのようなものがずっと流れているように思えてならない。
それがこの作品の魅力でもある。
僕の好きな簡潔な文体で書かれていることもあるのだろうか、いい短編だと思う。
"They live happily ever after."で結ばれているが、僕にはこの短編の中には哀しみのようなものがずっと流れているように思えてならない。
それがこの作品の魅力でもある。
2008年6月21日土曜日
Solstice Moonrise, Cape Sounion Credit & Copyright: Anthony Ayiomamitis (TWAN)
ギリシャのCape Sounionにあるポセンドン神殿に上がる夏至の満月。私の古代史好きをくすぐる映像である。
2008年6月19日木曜日
京都教育大学職員サッカー部
久しぶりのメールをもらった。
今年も新人が若干名入部し順調な様子である。
それにしても、京教にいた頃にはこのメールの主には無駄口を叩かぬ硬派だという印象を持っていたのだが、そのメールに限っては以前もらったメールにもまして無駄口の見本のようなメールだった。おもしろいものである。
特に用がなくても時折りさりげなく便りをするということは存外大切なものなのかもしれないということを教えてもらった。僕には真似ができないことだ。
僕のことを覚えてくれている(その思い出がよいものかどうかはともかく)人が日本に大勢いて、またここSofiaにもたくさんの仲間ができた。
齢を重ねるということはこういうことでもあるのだろう。
今年も新人が若干名入部し順調な様子である。
それにしても、京教にいた頃にはこのメールの主には無駄口を叩かぬ硬派だという印象を持っていたのだが、そのメールに限っては以前もらったメールにもまして無駄口の見本のようなメールだった。おもしろいものである。
特に用がなくても時折りさりげなく便りをするということは存外大切なものなのかもしれないということを教えてもらった。僕には真似ができないことだ。
僕のことを覚えてくれている(その思い出がよいものかどうかはともかく)人が日本に大勢いて、またここSofiaにもたくさんの仲間ができた。
齢を重ねるということはこういうことでもあるのだろう。
2008年6月18日水曜日
2008年6月17日火曜日
ゲイの人々を正当に理解すること
このような研究がもっと進んで、無知故の不当な偏見がなくなる日が来ることを望む。
Gay men and heterosexual women have similarly shaped brains, research shows
Gay men and heterosexual women have similarly shaped brains, research shows
2008年6月16日月曜日
差別との闘いと言論の自由
Hate speech or free speech? What much of West bans is protected in U.S.
ここではカナダとの比較が取り上げられているが、同様にアメリカ合州国と共通の価値観を持つと考えられることの多い他の国々とアメリカ合衆国との大きな違いの一つがここにある。
ここではカナダとの比較が取り上げられているが、同様にアメリカ合州国と共通の価値観を持つと考えられることの多い他の国々とアメリカ合衆国との大きな違いの一つがここにある。
2008年6月12日木曜日
なぜドングリのような栄養に富むものの栽培作物化に人類はこれまで失敗し続けてきたか。
要約するのがめんどくさいのでそのまま引用する。Jared DiamondのGuns, germs and steelはこのような面白い発見に満ち満ちている。
"It turns out that oak trees have three strikes against them. First, their slow growth would exhaust the patience of most farmers. Sown wheat yields a crop within a few months; a planted almond grows into a nutbearing tree in three or four years; but a planted acorn may not become productive for a decade or more.
Second, oak trees evolved to make nuts of a size and taste suitable for squirrels, which we've all seen burying, digging up, and eating acorns. Oaks grow from the occasional acorn that a squirrel forgets to dig up. With billions of squirrels each spreading hundreds of acorns every year to virtually any spot suitable for oak trees to grow, we humans didn't stand a chance of selecting oaks for the acorns that we wanted. Those same problems of slow growth and fast squirrels probably also explain why beech and hickory trees, heavily exploited as wild trees for their nuts by Europeans and Native Americans, respectively, were also not domesticated.
Finally, perhaps the most important difference between almonds and acorns is that bitterness is controlled by a single dominant gene in almonds but appears to be controlled by many genes in oaks. If ancient farmers planted almonds or acorns from the occasional nonbitter mutant tree, the laws of genetics dictate that half of the nuts from the resulting tree growing up would also be nonbitter in the case of almonds, but almost all would still be bitter in the case of oaks. That alone would kill the enthusiasm of any would-be acorn farmer who had defeated the squirrels and remained patient."
"It turns out that oak trees have three strikes against them. First, their slow growth would exhaust the patience of most farmers. Sown wheat yields a crop within a few months; a planted almond grows into a nutbearing tree in three or four years; but a planted acorn may not become productive for a decade or more.
Second, oak trees evolved to make nuts of a size and taste suitable for squirrels, which we've all seen burying, digging up, and eating acorns. Oaks grow from the occasional acorn that a squirrel forgets to dig up. With billions of squirrels each spreading hundreds of acorns every year to virtually any spot suitable for oak trees to grow, we humans didn't stand a chance of selecting oaks for the acorns that we wanted. Those same problems of slow growth and fast squirrels probably also explain why beech and hickory trees, heavily exploited as wild trees for their nuts by Europeans and Native Americans, respectively, were also not domesticated.
Finally, perhaps the most important difference between almonds and acorns is that bitterness is controlled by a single dominant gene in almonds but appears to be controlled by many genes in oaks. If ancient farmers planted almonds or acorns from the occasional nonbitter mutant tree, the laws of genetics dictate that half of the nuts from the resulting tree growing up would also be nonbitter in the case of almonds, but almost all would still be bitter in the case of oaks. That alone would kill the enthusiasm of any would-be acorn farmer who had defeated the squirrels and remained patient."
これはひどい・・・
Kyle Gradyのopen letterを読んだ。An open letter to the editors of lifestyle.bg and Mr. Tihomir Dimitrov
極めて冷静で知性的な批判である。批判の対象になっている記事自体はブルガリア語だが、Gradyの言う通り、掲載された写真を見ればブルガリア語がわからずともそのひどさが分かる。Дискриминират ме. Протестирам!
所詮どこかの酔っ払いの戯言だと無視することもできるが、それにしてもひどすぎる。小学校で習うべき知的活動の基礎さえできていない。
極めて冷静で知性的な批判である。批判の対象になっている記事自体はブルガリア語だが、Gradyの言う通り、掲載された写真を見ればブルガリア語がわからずともそのひどさが分かる。Дискриминират ме. Протестирам!
所詮どこかの酔っ払いの戯言だと無視することもできるが、それにしてもひどすぎる。小学校で習うべき知的活動の基礎さえできていない。
2008年6月11日水曜日
夏目漱石『それから』
「其上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出した。其不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質であつた。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるといふ事を発見した。」
漱石の見抜いたこの日本のこの面は今も変化していないと思う。
漱石の見抜いたこの日本のこの面は今も変化していないと思う。
日本の労働者の意識の変化
NYTimesが続けて記事を掲載している。後世の歴史家は「失われた10年」が日本社会の変動の引き金となったと指摘するのかもしれない。
In Shift for Japan, Salarymen Blow the Whistle
Standing Up for Workers’ Rights in Japan
In Shift for Japan, Salarymen Blow the Whistle
Standing Up for Workers’ Rights in Japan
2008年6月10日火曜日
生活慾と道義慾
「代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得てゐた。
この二つの因数(フアクトー)は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較べる日の来る迄は、此平衡は日本に於て得られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯ゝる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。」(夏目漱石『それから』)
社会がその各成員の内面に落とす影の濃さを思う。それは100年前も現在も同じである。
また漱石がここで「人類の一人として」という表現を二度も用いていることに注意が行くが、このことも少し分析していく価値がありそうな気がする。
2008年6月9日月曜日
昼寝
大学も試験期間に入り、閑散としてきた。実に静謐な環境となり仕事も勉強もよく捗る。
疲れてくるといすを三つ並べてその上で仮眠する。京都教育大学時代に自分の研究室で「暮らし」ていた頃の記憶が蘇る。
周りの誰もが呆れるほどの粗食ぶりもブルガリアに来ても同様だし、どこに行っても僕のやることはかわりばえがしない。
疲れてくるといすを三つ並べてその上で仮眠する。京都教育大学時代に自分の研究室で「暮らし」ていた頃の記憶が蘇る。
周りの誰もが呆れるほどの粗食ぶりもブルガリアに来ても同様だし、どこに行っても僕のやることはかわりばえがしない。
2008年6月8日日曜日
Charles Dickens "A Christmas Carol"
"Clear away! There was nothing they wouldn't have cleared away, or couldn't have cleared away, with old Fezziwig looking on. It was done in a minute. Every movable was packed off, as if it were dismissed from public life for evermore; the floor was swept and watered, the lamps were trimmed, fuel was heaped upon the fire; and the warehouse was as snug, and warm, and dry, and bright a ball-room, as you would desire to see upon a winter's night.
In came a fiddler with a music-book, and went up to the lofty desk, and made an orchestra of it, and tuned like fifty stomach-aches. In came Mrs Fezziwig, one vast substantial smile. In came the three Miss Fezziwigs, beaming and lovable. In came the six young followers whose hearts they broke. In came all the young men and women employed in the business. In came the housemaid, with her cousin, the baker. In came the cook, with her brother's particular friend, the milkman. In came the boy from over the way, who was suspected of not having board enough from his master; trying to hide himself behind the girl from next door but one, who was proved to have had her ears pulled by her mistress. In they all came, one after another; some shyly, some boldly, some gracefully, some awkwardly, some pushing, some pulling; in they all came, anyhow and everyhow. Away they all went, twenty couple at once; hands half round and back again the other way; down the middle and up again; round and round in various stages of affectionate grouping; old top couple always turning up in the wrong place; new top couple starting off again, as soon as they got there; all top couples at last, and not a bottom one to help them. When this result was brought about, old Fezziwig, clapping his hands to stop the dance, cried out, 'Well done.' and the fiddler plunged his hot face into a pot of porter, especially provided for that purpose. But scorning rest, upon his reappearance, he instantly began again, though there were no dancers yet, as if the other fiddler had been carried home, exhausted, on a shutter, and he were a bran-new man resolved to beat him out of sight, or perish.
"Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs. Fezziwig."
There were more dances, and there were forfeits, and more dances, and there was cake, and there was negus, and there was a great piece of Cold Roast, and there was a great piece of Cold Boiled, and there were mince-pies, and plenty of beer. But the great effect of the evening came after the Roast and Boiled, when the fiddler (an artful dog, mind. The sort of man who knew his business better than you or I could have told it him.) struck up 'Sir Roger de Coverley.' Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs Fezziwig. Top couple, too; with a good stiff piece of work cut out for them; three or four and twenty pair of partners; people who were not to be trifled with; people who would dance, and had no notion of walking. But if they had been twice as many-ah, four times- old Fezziwig would have been a match for them, and so would Mrs Fezziwig. As to her, she was worthy to be his partner in every sense of the term. If that's not high praise, tell me higher, and I'll use it. A positive light appeared to issue from Fezziwig's calves. They shone in every part of the dance like moons. You couldn't have predicted, at any given time, what would have become of them next. And when old Fezziwig and Mrs Fezziwig had gone all through the dance; advance and retire, both hands to your partner, bow and curtsey, corkscrew, thread-the-needle, and back again to your place; Fezziwig 'cut'-cut so deftly, that he appeared to wink with his legs, and came upon his feet again without a stagger."
名文。少し長いが、多くの人に読んでもらいたいので引用した。
In came a fiddler with a music-book, and went up to the lofty desk, and made an orchestra of it, and tuned like fifty stomach-aches. In came Mrs Fezziwig, one vast substantial smile. In came the three Miss Fezziwigs, beaming and lovable. In came the six young followers whose hearts they broke. In came all the young men and women employed in the business. In came the housemaid, with her cousin, the baker. In came the cook, with her brother's particular friend, the milkman. In came the boy from over the way, who was suspected of not having board enough from his master; trying to hide himself behind the girl from next door but one, who was proved to have had her ears pulled by her mistress. In they all came, one after another; some shyly, some boldly, some gracefully, some awkwardly, some pushing, some pulling; in they all came, anyhow and everyhow. Away they all went, twenty couple at once; hands half round and back again the other way; down the middle and up again; round and round in various stages of affectionate grouping; old top couple always turning up in the wrong place; new top couple starting off again, as soon as they got there; all top couples at last, and not a bottom one to help them. When this result was brought about, old Fezziwig, clapping his hands to stop the dance, cried out, 'Well done.' and the fiddler plunged his hot face into a pot of porter, especially provided for that purpose. But scorning rest, upon his reappearance, he instantly began again, though there were no dancers yet, as if the other fiddler had been carried home, exhausted, on a shutter, and he were a bran-new man resolved to beat him out of sight, or perish.
"Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs. Fezziwig."
There were more dances, and there were forfeits, and more dances, and there was cake, and there was negus, and there was a great piece of Cold Roast, and there was a great piece of Cold Boiled, and there were mince-pies, and plenty of beer. But the great effect of the evening came after the Roast and Boiled, when the fiddler (an artful dog, mind. The sort of man who knew his business better than you or I could have told it him.) struck up 'Sir Roger de Coverley.' Then old Fezziwig stood out to dance with Mrs Fezziwig. Top couple, too; with a good stiff piece of work cut out for them; three or four and twenty pair of partners; people who were not to be trifled with; people who would dance, and had no notion of walking. But if they had been twice as many-ah, four times- old Fezziwig would have been a match for them, and so would Mrs Fezziwig. As to her, she was worthy to be his partner in every sense of the term. If that's not high praise, tell me higher, and I'll use it. A positive light appeared to issue from Fezziwig's calves. They shone in every part of the dance like moons. You couldn't have predicted, at any given time, what would have become of them next. And when old Fezziwig and Mrs Fezziwig had gone all through the dance; advance and retire, both hands to your partner, bow and curtsey, corkscrew, thread-the-needle, and back again to your place; Fezziwig 'cut'-cut so deftly, that he appeared to wink with his legs, and came upon his feet again without a stagger."
名文。少し長いが、多くの人に読んでもらいたいので引用した。
2008年6月7日土曜日
鷗外の遺書
「余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリコヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス」
過去何千・何万という人々を鼓舞してきたであろう単独者「石見人森林太郎」の矜持。
過去何千・何万という人々を鼓舞してきたであろう単独者「石見人森林太郎」の矜持。
トヨタ自動車の強さ
Corporate Culture: The J Factor
工場内の雰囲気をそれほど努力せずともイメージできるのは、多分僕が日本で生まれ育った人間だからだろう。「改善運動」の底流にある思想は日本列島の通奏低音として古来から響き続けてきたものだ。
しかしトヨタが成功している事実がこの方式の万能性をアプリオリに証明しているわけではない。そうであれば日本の国際競争力が25位などと低迷しているはずがない。日本の多くの企業がトヨタの真似をしているからだ。
可能なアプローチは常に複数存在する。最善のアプローチを求めるのではなく、ある一つのアプローチをいかに十全に働かせるか。それが重要なのだと思う。
工場内の雰囲気をそれほど努力せずともイメージできるのは、多分僕が日本で生まれ育った人間だからだろう。「改善運動」の底流にある思想は日本列島の通奏低音として古来から響き続けてきたものだ。
しかしトヨタが成功している事実がこの方式の万能性をアプリオリに証明しているわけではない。そうであれば日本の国際競争力が25位などと低迷しているはずがない。日本の多くの企業がトヨタの真似をしているからだ。
可能なアプローチは常に複数存在する。最善のアプローチを求めるのではなく、ある一つのアプローチをいかに十全に働かせるか。それが重要なのだと思う。
2008年6月6日金曜日
森鷗外「伊沢蘭軒」
とうとう諦めて今回は投げ出すことにした。不明語を一つ一つ調べながら勉強のつもりで読んできたのだが、読み始めて3ヶ月も経つのにまだ四分の一程度にしか辿り着いていないことにとうとう嫌気がさした。
鷗外の全作品を読み終えたあともまだ僕が生きているようであればまた戻ってくることもあろう。
こんな怪物とは軽々に付き合えるものではない。
鷗外の全作品を読み終えたあともまだ僕が生きているようであればまた戻ってくることもあろう。
こんな怪物とは軽々に付き合えるものではない。
豪雨
ヨーロッパ各地に被害をもたらした前線がSofiaに到達した。午前中の豪雨も生まれて初めて見るものだったが、この時間になって強風を伴ったまさに「嵐」となった。「横殴りの雨」というが、目測でも30度程度の鋭角で雨が窓を叩く。サッシのたてつけの悪い部分や天井がガラスになっている所からは大量の雨漏りがするし、ロックしていなかった窓は強風のために勢いよく開き、部屋中を水浸しにした。
今はちょうどバラ祭りの季節で仲間たちの多くは観光ツアーのガイドのアルバイトでブルガリア中部にいる。みんな大丈夫かなあ。
今はちょうどバラ祭りの季節で仲間たちの多くは観光ツアーのガイドのアルバイトでブルガリア中部にいる。みんな大丈夫かなあ。
Copenhagen Consensus 2008 Conference
アイデアはこうである。
世界の10大問題に関して、過去2年にわたって50人の専門家が30種類の解決策を提案し、その中で5人のノーベル賞受賞者を含む8人の経済学者が優先順位を付ける。
第1位は、ヴィタミンAと亜鉛の欠乏に苦しむ1億4千万の子どもたちの80%にそれらを提供すること。年間6千万ドルのコストで、健康・認知的改善の点で10億ドル以上の経済効果がもたらされるという。
第2位は、ドーハ・ラウンドの遵守によって自由貿易を拡大すること。そこからは3兆ドルの経済効果が生まれ、そのうちの2.5兆ドルが発展途上国にもたらされるという。
天国への通行手形や神のご利益を信じていない人々に対して道徳や人類愛などのお題目を聞かせても効果は疑わしい時代となってきた。そういう時代には、このような功利主義的な議論を仕掛けるのも一つの考え方だと思う。
The Top Ten Solutions to the World's Biggest Problems
世界の10大問題に関して、過去2年にわたって50人の専門家が30種類の解決策を提案し、その中で5人のノーベル賞受賞者を含む8人の経済学者が優先順位を付ける。
第1位は、ヴィタミンAと亜鉛の欠乏に苦しむ1億4千万の子どもたちの80%にそれらを提供すること。年間6千万ドルのコストで、健康・認知的改善の点で10億ドル以上の経済効果がもたらされるという。
第2位は、ドーハ・ラウンドの遵守によって自由貿易を拡大すること。そこからは3兆ドルの経済効果が生まれ、そのうちの2.5兆ドルが発展途上国にもたらされるという。
天国への通行手形や神のご利益を信じていない人々に対して道徳や人類愛などのお題目を聞かせても効果は疑わしい時代となってきた。そういう時代には、このような功利主義的な議論を仕掛けるのも一つの考え方だと思う。
The Top Ten Solutions to the World's Biggest Problems
WINSTON NILES RUMFOORD
"There is no reason why good cannot triumph as often as evil. The triumph of anything is a matter of organization. If there are such things as angels, I hope that they are organized, along the lines of the Mafia."
— WINSTON NILES RUMFOORD
私は、このように嘯く―しかし悲しげに―ラムフォードを愛する。
年度終了
Sofia大学での私の最初の年度が終了した。来週から試験期間に入るので学生はまだまだ大変だが教師の仕事量は大幅に減る。
長く慣れ親しんだ日本の大学とは大きく異なる環境での初めての一年。本当にあっという間だった。予想通りだったことよりも、来る前の予測が完全に外れたことのほうが実ははるかに多かった。概ね大過なく済んだということは言えるだろう。しかしうまく行ったのかどうか。それはよくわからない。
長く慣れ親しんだ日本の大学とは大きく異なる環境での初めての一年。本当にあっという間だった。予想通りだったことよりも、来る前の予測が完全に外れたことのほうが実ははるかに多かった。概ね大過なく済んだということは言えるだろう。しかしうまく行ったのかどうか。それはよくわからない。
芥川龍之介「世の中と女」
女性の社会進出に関して彼は次のように言う。
「又世の中の仕事に関与するとなると、女に必然に女らしさを失ふやうに思ふ人がある。が、私はさうは思はない。成程、在来の女らしい型は壊れるかも知れない。しかし、女らしさそのものは無くならない筈だ。
かう云ふ例を使つては女性に失礼かも知れないけれども、狼は人間に飼はれると犬になるには違ひない。しかし、猫にならないことは確である。在来の女の型は失つても、女らしさは失はれないことは、猶、犬が泥棒を見ると食ひ付くやうなものであるだらうと思ふ。 しかし、これは大義名分の上に立つた議論である。もし夫れ私一人の好みを云へば、やはり、犬よりは狼が可い。子供を育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼が可い。」
家庭に留まらず社会に出て職業を持つ女性が「犬」に譬えられ、そうでない女性は「子どもを育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼」だと言う。これは仕事を持つ女性に対する現代日本におけるイメージとはむしろ逆のイメージではないだろうか。大正十年当時の社会に一般的な捉え方なのか、龍之介独自の見方なのか。興味深い。
「又世の中の仕事に関与するとなると、女に必然に女らしさを失ふやうに思ふ人がある。が、私はさうは思はない。成程、在来の女らしい型は壊れるかも知れない。しかし、女らしさそのものは無くならない筈だ。
かう云ふ例を使つては女性に失礼かも知れないけれども、狼は人間に飼はれると犬になるには違ひない。しかし、猫にならないことは確である。在来の女の型は失つても、女らしさは失はれないことは、猶、犬が泥棒を見ると食ひ付くやうなものであるだらうと思ふ。 しかし、これは大義名分の上に立つた議論である。もし夫れ私一人の好みを云へば、やはり、犬よりは狼が可い。子供を育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼が可い。」
家庭に留まらず社会に出て職業を持つ女性が「犬」に譬えられ、そうでない女性は「子どもを育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼」だと言う。これは仕事を持つ女性に対する現代日本におけるイメージとはむしろ逆のイメージではないだろうか。大正十年当時の社会に一般的な捉え方なのか、龍之介独自の見方なのか。興味深い。
2008年6月5日木曜日
Stone Henge
一段と解明が進んだと評価してよいだろう。
Stonehenge Was Cemetery First and Foremost, Study Says (National Geographic)
Stonehenge yields one of its secrets (International Herald Tribune)
Stonehenge 'a long-term cemetery' (BBC)
Stonehenge Was Cemetery First and Foremost, Study Says (National Geographic)
Stonehenge yields one of its secrets (International Herald Tribune)
Stonehenge 'a long-term cemetery' (BBC)
芥川龍之介「貝殻」
「六 東京人」。これが龍之介の時代の東京人、日本人なら、そこから、現代の日本人は、とりわけ僕のような人間は、いかに隔たってしまったのだろうと思わずにはいられない。
むしろ「東京人」の「東京」を「ブルガリア」に変換して読んでもらったほうがいいかもしれない。少なくともいま僕の相手をしてくれている心優しき、遠慮深き仲間たちは、そのような人たちばかりである。
それにしても、この作品は全体としてもすばらしい出来である。龍之介の最良の部分がよく出ている。
むしろ「東京人」の「東京」を「ブルガリア」に変換して読んでもらったほうがいいかもしれない。少なくともいま僕の相手をしてくれている心優しき、遠慮深き仲間たちは、そのような人たちばかりである。
それにしても、この作品は全体としてもすばらしい出来である。龍之介の最良の部分がよく出ている。
正義と多様性のために
アイヌ国会決議―これを歴史的な一歩に
生活保護受給率3倍、高等教育進学率三分の一。日本国憲法が保障する基本的人権が守られていない。
「愛国心」をお題目のように唱えるはるか以前の段階で、まず第一にその国家を愛する価値のあるものにすることが公僕の義務である。
生活保護受給率3倍、高等教育進学率三分の一。日本国憲法が保障する基本的人権が守られていない。
「愛国心」をお題目のように唱えるはるか以前の段階で、まず第一にその国家を愛する価値のあるものにすることが公僕の義務である。
tip-of-the-tongue experience
日本語なら「ここまで出かかっているんだけど・・・」と言って喉の最上部を指す。そしてこのように何かの名称(のみ)を思い出せないことを表す表現はあらゆる言語に普遍的な現象だという。
What's that name?
What's that name?
2008年6月4日水曜日
「暗き河」
Credit & Copyright: Máximo Ruiz
2008年5月29日木曜日
2008年5月25日日曜日
ご無沙汰
数日ブログ更新をしていなかったので、各方面に色々心配をかけていたようだ。すみません。
PCの調子が悪く、インターネットもWordもうまく動かない状態が続いていて、しかたなくもう一台のほうでせっせと文書データの整理(哲学・文学・芸術等のhumanities以外の領域の文書の大量廃棄)をしていて、何も読みもしなければ考えもしていなかったものだから。ブログのネタもなかったのである。
仕事も生活もおかげさまですこぶる順調である。ご安心ください。PCが生き返ったら、またたくさん書きます。
PCの調子が悪く、インターネットもWordもうまく動かない状態が続いていて、しかたなくもう一台のほうでせっせと文書データの整理(哲学・文学・芸術等のhumanities以外の領域の文書の大量廃棄)をしていて、何も読みもしなければ考えもしていなかったものだから。ブログのネタもなかったのである。
仕事も生活もおかげさまですこぶる順調である。ご安心ください。PCが生き返ったら、またたくさん書きます。
2008年5月21日水曜日
銀河の宝石箱
Credit & Copyright: Jean-Charles Cuillandre (CFHT) & Giovanni Anselmi (Coelum Astronomia), Hawaiian Starlight
色とりどりに煌いているものがそれぞれ独立した銀河だそうです。いかなる宝石箱よりも美しいと思いませんか。
2008年5月19日月曜日
2008年5月18日日曜日
クラスター爆弾廃絶へ向けて
明日はダブリン会議である。
クラスター爆弾廃絶への動きはここ1、2年急速に高まってきた。きっかけは、ヴェトナム戦争期に製造された400万トンをイスラエルが2006年にレバノンに投下したことだ。DEFCのフィールドであるラオスでは1970年代にアメリカ軍がその65倍の2億6000万トンを投下した。
クラスター爆弾不発弾による被害は、現在、地雷の約十分の一である。それが廃絶反対への口実になり得ないことは言うまでもないが、もう一つ大きな問題が先に横たわっている。従来から大量製造・保有してきた軍事大国が所有するクラスター爆弾が年月と共にかなり老朽化してきている。懸念されているのは、それらが世界中の紛争国に大量に叩き売りされることだ。
今や人類最悪の非人道的兵器と呼ばれるクラスター爆弾の大量所有を誇る三大軍事大国(アメリカ合州国・ロシア・中国)が「人道的」な見地からまさか叩き売りまではしないだろう、というようなおめでたい期待をしている者はいない。
Treaty for cluster bombs expected during upcoming conference
クラスター爆弾廃絶への動きはここ1、2年急速に高まってきた。きっかけは、ヴェトナム戦争期に製造された400万トンをイスラエルが2006年にレバノンに投下したことだ。DEFCのフィールドであるラオスでは1970年代にアメリカ軍がその65倍の2億6000万トンを投下した。
クラスター爆弾不発弾による被害は、現在、地雷の約十分の一である。それが廃絶反対への口実になり得ないことは言うまでもないが、もう一つ大きな問題が先に横たわっている。従来から大量製造・保有してきた軍事大国が所有するクラスター爆弾が年月と共にかなり老朽化してきている。懸念されているのは、それらが世界中の紛争国に大量に叩き売りされることだ。
今や人類最悪の非人道的兵器と呼ばれるクラスター爆弾の大量所有を誇る三大軍事大国(アメリカ合州国・ロシア・中国)が「人道的」な見地からまさか叩き売りまではしないだろう、というようなおめでたい期待をしている者はいない。
Treaty for cluster bombs expected during upcoming conference
ほくろ?シミ?そばかす?
さっき朝寝から目が覚めたばかりの時ふと布団から出ている自分の腕を見てぎょっとした。いくつかのほくろと呼ぶのかシミと呼ぶのか、とにかくそういうものが目に入ったのである。普段しげしげと自分の身体なぞ見ないものだから、ずっと前からあったのかもしれないが、とにかくさっき気がついたというわけだ。
その自分の腕を見ていると、死んだ父が晩年体中にその色素異常を見せていたことを思い出した。いわゆる「老人性色素班」というやつだろう。
いよいよ私にも老いがひたひたと押し寄せてきたと見える。
しかしあまり悪い気分でもない。「疾風怒濤」の日々にも疲れてきた。そろそろ枯れてみたくなってきたというのも正直なところである。
その自分の腕を見ていると、死んだ父が晩年体中にその色素異常を見せていたことを思い出した。いわゆる「老人性色素班」というやつだろう。
いよいよ私にも老いがひたひたと押し寄せてきたと見える。
しかしあまり悪い気分でもない。「疾風怒濤」の日々にも疲れてきた。そろそろ枯れてみたくなってきたというのも正直なところである。
「言語ゲーム」
Wittgensteinの苦悩の一端が最近わかってきたような気がする。頭では理解しているつもりでいたが、実際に身体で経験してみると、これは本当に大変である。
「次のような言語使用のこと考えてみよう。私が誰かを買い物にやる。彼に「赤いリンゴ五つ」という記号の書いてある紙片を渡す。彼がその紙片を商人のところに持って行くと、商人は「リンゴ」と記された箱を開け、次いで目録の 中から「赤い」という語を探し出して、それに対応している色見本を見つける。それから彼は基数の系列―それを彼は諳んじていると仮定する―を「五」という 語まで口に出し、それぞれの数を口に出すたびにサンプルの色をしたリンゴを一つずつ箱から取り出す。―このように、あるいはこれと似た仕方で、人は言語を 繰るのである。――「しかしこの商人は、どこでどのようにして<赤い>という語を調べたらよいか、また<五つ>という語に対してどう反応したらよいか、をど うやって知るのだろうか。」――私はただ、いま述べた通りに彼が振る舞うと仮定している。説明はいずれどこかで終わるものである。――しかし「五つ」という語の意味は何なのか。――そういうことはここでは全く問題になっていない。どのように「五つ」という語が使われるか、ということだけが問題である。」(『哲学探究』)
使いの者と商人とがそれぞれ持っている諸規則――「リンゴ」の意味規則、色見本、基数系列――が異なっている場合――そしてそれらが同じである場合は原理的には皆無であるはずである――、いったいどのように共通理解が成立するというのか。
これが実際に二人が顔を付き合わせながら「リンゴ」「赤」「五つ」に関する互いの規則を参照・確認しながらのコミュニケーションならまだ救いはある。その場で訂正し、互いの規則を教えあい、また教え合うという行為の絶対的必要性を両者が常に確認しながら、意思疎通を図ることができるからだ。
eメールやチャットなどの電子媒体は恐ろしい。書簡と比べ、一見、会話に近い媒体であるために、大きな誤解がその間にあることを双方が気づかず、スムーズにコミュニケーションが展開しているという誤った前提の下にやり取りが続き、最初の誤解が実は両者の関係にとって取り返しのつかぬ命取りにまで肥大してきているのに、最後の最後までどちらも気づかず、コミュニケーションが崩壊してしまう。幸運な場合にはのちに実際に会うことができて、それらの「誤解」を「まとめて」修正することができるかもしれない。しかしそうでない場合には、どの規則を共有していなかったのかということを最後までとうとうどちらも突き止めることができないまま、関係が破綻する危険がある。
「母語」が「同一」の場合でもそうでない場合でも、原理的には問題の深刻さは同じはずである。しかしそれは「原理的には」であって、実際にそのディスコミュニケーションを「生きて」みると、その深刻さは比較にならない。
破綻を避ける(ことができるかもしれない)手段はただ一つ、本当に大事なことは、きちんと互いに目を見つめながら話せるときにしか話さない、ということしかないようだ。
「次のような言語使用のこと考えてみよう。私が誰かを買い物にやる。彼に「赤いリンゴ五つ」という記号の書いてある紙片を渡す。彼がその紙片を商人のところに持って行くと、商人は「リンゴ」と記された箱を開け、次いで目録の 中から「赤い」という語を探し出して、それに対応している色見本を見つける。それから彼は基数の系列―それを彼は諳んじていると仮定する―を「五」という 語まで口に出し、それぞれの数を口に出すたびにサンプルの色をしたリンゴを一つずつ箱から取り出す。―このように、あるいはこれと似た仕方で、人は言語を 繰るのである。――「しかしこの商人は、どこでどのようにして<赤い>という語を調べたらよいか、また<五つ>という語に対してどう反応したらよいか、をど うやって知るのだろうか。」――私はただ、いま述べた通りに彼が振る舞うと仮定している。説明はいずれどこかで終わるものである。――しかし「五つ」という語の意味は何なのか。――そういうことはここでは全く問題になっていない。どのように「五つ」という語が使われるか、ということだけが問題である。」(『哲学探究』)
使いの者と商人とがそれぞれ持っている諸規則――「リンゴ」の意味規則、色見本、基数系列――が異なっている場合――そしてそれらが同じである場合は原理的には皆無であるはずである――、いったいどのように共通理解が成立するというのか。
これが実際に二人が顔を付き合わせながら「リンゴ」「赤」「五つ」に関する互いの規則を参照・確認しながらのコミュニケーションならまだ救いはある。その場で訂正し、互いの規則を教えあい、また教え合うという行為の絶対的必要性を両者が常に確認しながら、意思疎通を図ることができるからだ。
eメールやチャットなどの電子媒体は恐ろしい。書簡と比べ、一見、会話に近い媒体であるために、大きな誤解がその間にあることを双方が気づかず、スムーズにコミュニケーションが展開しているという誤った前提の下にやり取りが続き、最初の誤解が実は両者の関係にとって取り返しのつかぬ命取りにまで肥大してきているのに、最後の最後までどちらも気づかず、コミュニケーションが崩壊してしまう。幸運な場合にはのちに実際に会うことができて、それらの「誤解」を「まとめて」修正することができるかもしれない。しかしそうでない場合には、どの規則を共有していなかったのかということを最後までとうとうどちらも突き止めることができないまま、関係が破綻する危険がある。
「母語」が「同一」の場合でもそうでない場合でも、原理的には問題の深刻さは同じはずである。しかしそれは「原理的には」であって、実際にそのディスコミュニケーションを「生きて」みると、その深刻さは比較にならない。
破綻を避ける(ことができるかもしれない)手段はただ一つ、本当に大事なことは、きちんと互いに目を見つめながら話せるときにしか話さない、ということしかないようだ。
2008年5月17日土曜日
2008年5月16日金曜日
教員養成プログラム=diploma mill?
NYTimesの社説が日本での議論と重なるところが多く、面白かった。Teach for America
調査結果からは、乱暴に、二つの論点が取り出せる。
1.恒常的に進歩・変化の著しい自然科学系科目においては、若手のそれもエリート大学卒業生が「それほどでもない教師」よりも教科内容をよく把握している可能性の有無
2.生徒たちとの年齢差が小さく、「新米の熱意」に溢れた若手教師のほうが「それほどでもない」教師たちよりも生徒たちを惹きつける可能性の有無
乱暴な推測をすれば、この2点が相俟ってこのような結果が出たのではなかろうか。
熱意と実力を兼ね備えていない者は教師をしてはいけない、という単純な、そして不都合な真実。いずこも同じ。
調査結果からは、乱暴に、二つの論点が取り出せる。
1.恒常的に進歩・変化の著しい自然科学系科目においては、若手のそれもエリート大学卒業生が「それほどでもない教師」よりも教科内容をよく把握している可能性の有無
2.生徒たちとの年齢差が小さく、「新米の熱意」に溢れた若手教師のほうが「それほどでもない」教師たちよりも生徒たちを惹きつける可能性の有無
乱暴な推測をすれば、この2点が相俟ってこのような結果が出たのではなかろうか。
熱意と実力を兼ね備えていない者は教師をしてはいけない、という単純な、そして不都合な真実。いずこも同じ。
"Leaving Las Vegas"
Mike Figgisの脚本を読み終えた。Benを演じたNicolas CageとSeraを演じたElizabeth Shueをイメージしながら読んできたのもよかったのかもしれない。
前にも書いたが、映画としてだけでなく、脚本としても、私はこの作品を愛する。
前にも書いたが、映画としてだけでなく、脚本としても、私はこの作品を愛する。
IMD The World Competitiveness Yearbook
ブルガリアは近年好調を維持しており、とうとう39位まで上昇した。世界第2位の経済大国だと偉そうにしている日本も22位だ。ここまで来たら、もう早く日本を抜いてしまいましょう。
2008年5月13日火曜日
アインシュタインの宗教観
Childish superstition: Einstein's letter makes view of religion relatively clear
僕のように宗教を持たない人間から見れば彼の言っている事はすこぶるまっとうな事であって不思議でも何でもなく、そもそも論争のある事自体が奇妙としか言いようがないのだが、それでも議論は喧しいようだ。
昨日の各社社説
朝日新聞:『ミャンマー―日本外交も説得に動け』『食糧輸出規制―最低限の歯止めがほしい』
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
東京新聞:『ヤフー買収断念 マイクロソフトの迷走』『猟銃所持 許可の厳格化は当然だ』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/
日経新聞:『さらに踏み込み環境立国の志を示せ』『資産圧縮を迫られたシティ』
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/
毎日新聞:『ゆうちょ銀行 住宅ローンで出過ぎるな』『クラスター爆弾 政治決断で禁止条約推進を』
http://mainichi.jp/select/opinion/index.html
読売新聞:『後期高齢者医療 実態調査と総点検を急げ』『命名権売却 幅広い合意の下で進めたい』
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/
昨日の社説だから中国の大地震はまだ届いていない。それにしても、10本すべてが異なったテーマのものだと言ってよい。問題の数が多いと捉えるべきなのか、世界的に大きな問題が各社で共有されていないと見るべきなのか、それともやはり日本は「平和な」国だと考えるべきなのか。
http://www.asahi.com/paper
東京新聞:『ヤフー買収断念 マイクロソフトの迷走』『猟銃所持 許可の厳格化は当然だ』
http://www.tokyo-np.co.jp
日経新聞:『さらに踏み込み環境立国の志を示せ』『資産圧縮を迫られたシティ』
http://www.nikkei.co.jp/news
毎日新聞:『ゆうちょ銀行 住宅ローンで出過ぎるな』『クラスター爆弾 政治決断で禁止条約推進を』
http://mainichi.jp/select
読売新聞:『後期高齢者医療 実態調査と総点検を急げ』『命名権売却 幅広い合意の下で進めたい』
http://www.yomiuri.co.jp
昨日の社説だから中国の大地震はまだ届いていない。それにしても、10本すべてが異なったテーマのものだと言ってよい。問題の数が多いと捉えるべきなのか、世界的に大きな問題が各社で共有されていないと見るべきなのか、それともやはり日本は「平和な」国だと考えるべきなのか。
Sofia大学日本学専攻
きょうZaxariがCDをくれた。そこには学生たちの写真や動画がたくさん入っていた。みんなの仲のよさが生き生きと伝わってくるすばらしいCDだった。昨日のBeniの誕生日パーティの写真もあり、僕の写ってるのも入れてくれていたし、さなも楽しそうにみんなとカメラにおさまっていた。
仲よき事は美しき哉。
仲よき事は美しき哉。
2008年5月12日月曜日
「批判的姿勢」
もちろんこのレヴェルを要求するわけではないが、若い人には、世界のあらゆることに向き合う際、もう少し冷静に、知的に、ニセモノを見抜くだけの眼を持ってもらいたいと思う。
A Letter from Alexander to Aristotle?
A Letter from Alexander to Aristotle?
2008年5月11日日曜日
聞こえる・聞こゆ
折口信夫の「「琉球の宗教」の中の一つの正誤」の中に「聞得大君」という記述があった。これは「きこえおほぎみ」と読む。
「見ゆ」「聞こゆ」「思ほゆ」などの「ゆ」は「得」から来たのだろうか。もちろんこれは単なる思いつきに過ぎず、90%の確率で誤ったものだという予感はするが、しかしそれを確認する術もここにはない。誰かに教えてもらわないといけない。
「見ゆ」「聞こゆ」「思ほゆ」などの「ゆ」は「得」から来たのだろうか。もちろんこれは単なる思いつきに過ぎず、90%の確率で誤ったものだという予感はするが、しかしそれを確認する術もここにはない。誰かに教えてもらわないといけない。
Jillian Tamaki
Remembering Nana on Mother’s Day
多元的・多層的な「文化」の豊かな可能性を感じさせるよいイラストレーターだと思う。Jillian Tamaki Illustration
多元的・多層的な「文化」の豊かな可能性を感じさせるよいイラストレーターだと思う。Jillian Tamaki Illustration
2008年5月9日金曜日
龍之介の歌
「やはらかく深紫の天鵞絨をなづる心地か春の暮れゆく 」
「初夏の都大路の夕あかりふたゝび君とゆくよしもがな」
「しぐれふる町を幽けみここにして海彼の本をめでにけるかも」
白秋から勇、そしてアララギへ。天才龍之介は学習の名人でもあった。
学習の名人はすべてを吸収しようとし、またできてしまうために、かえってその限界が早く訪れる。そして自己破壊を起こす。そういうことなのかもしれない。
(参考:吉野裕之「芥川龍之介の俳句と短歌」)
「初夏の都大路の夕あかりふたゝび君とゆくよしもがな」
「しぐれふる町を幽けみここにして海彼の本をめでにけるかも」
白秋から勇、そしてアララギへ。天才龍之介は学習の名人でもあった。
学習の名人はすべてを吸収しようとし、またできてしまうために、かえってその限界が早く訪れる。そして自己破壊を起こす。そういうことなのかもしれない。
(参考:吉野裕之「芥川龍之介の俳句と短歌」)
2008年5月8日木曜日
夏目漱石「それから」
突然登場する、代助の姿を借りた漱石の文明批評。
「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂有の儘の世界を、有の儘で受取つて、其中僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」
「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂有の儘の世界を、有の儘で受取つて、其中僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」
韓寒
いつも鋭くかつ温かい中国観を提示し続けているふるまいよしこ氏のメルマガで知ったのだが、この80年代生まれの作家はなかなか骨のある人物らしい。彼女の文章を引用すると、彼はブログで、
「愛国者たちが憤激したときに良く使う『もし、外国人がお前を殴ったらどうする?』『お前の母親が外国人にレイプされたらどうするつもりだ?』という言葉に対して、やんわりと『外国人はぼくを殴らない。ぼくの母親は外国人にレイプされていない。近代のオリンピックはフランス人のクールベルタンが提唱したものだ。オリンピックもボイコットすればいい』と答えている。」(ふるまいよしこ訳)そうだ。
こういうまっとうな発言が中国語世界の外になかなか出ていかないのが現在の中国(だけでなく日本を含む、「弱者」の言語に共通の、であるが)の悲劇である。
今から中国語を学ぶ暇は私にはないが、きちんとものが考えられる人物もたくさんいるはずだし外国語を使う中国人も数多いのだから、ウェブ上でもっともっと翻訳を出していってほしい。読んでみたいと思う人は多いはずである。
「愛国者たちが憤激したときに良く使う『もし、外国人がお前を殴ったらどうする?』『お前の母親が外国人にレイプされたらどうするつもりだ?』という言葉に対して、やんわりと『外国人はぼくを殴らない。ぼくの母親は外国人にレイプされていない。近代のオリンピックはフランス人のクールベルタンが提唱したものだ。オリンピックもボイコットすればいい』と答えている。」(ふるまいよしこ訳)そうだ。
こういうまっとうな発言が中国語世界の外になかなか出ていかないのが現在の中国(だけでなく日本を含む、「弱者」の言語に共通の、であるが)の悲劇である。
今から中国語を学ぶ暇は私にはないが、きちんとものが考えられる人物もたくさんいるはずだし外国語を使う中国人も数多いのだから、ウェブ上でもっともっと翻訳を出していってほしい。読んでみたいと思う人は多いはずである。
2008年5月6日火曜日
“enlightened self-interest”
Susan George, Examining relationships between European Union policies and migratory pressures
正論であり、説得力のある議論を展開している。
それにしても、research directorateのレヴェルとはいえ、EUがSusan Georgeを呼ぶとは。ご本人も驚いたようだ。
ヨーロッパの知的な伝統の奥深さと懐の深さを感じさせるエピソードである。世界の他のどの主権もここまでの度量を持たない。
これからも当分の間はやはりEUが世界をリードしていくしかないだろう。
正論であり、説得力のある議論を展開している。
それにしても、research directorateのレヴェルとはいえ、EUがSusan Georgeを呼ぶとは。ご本人も驚いたようだ。
ヨーロッパの知的な伝統の奥深さと懐の深さを感じさせるエピソードである。世界の他のどの主権もここまでの度量を持たない。
これからも当分の間はやはりEUが世界をリードしていくしかないだろう。
「島国根性」
昨日書いた日本の閉鎖性は、最も動きの早い経済の領域で最も顕著に出始めていることをNewsWeek誌が報じている。This Nation Is An Island
大きな問題であることは事実である。ただ昨日書いたことを補足する意味も込めて言えば、10年や20年の短期的な視野で現象を見ることの限界も忘れてはならない。
文化史・文明史的に見れば、日本列島に住む人々が「外部」との関係において真の意味で積極性を見せた時は皆無といってよい。侵略性を露にした時代は言うまでもなく、正の意味での対外交流であるように見える、唐との交渉も「文明開化」も敗戦後の「民主日本」建設も、徹底的に正面から向き合ったというよりは寧ろ表面的な文物の「導入」に留まった――或いは留めようとした――といったほうが正確であろう。
あの列島に住む人は、幸か不幸か、「島国根性」でこれまで何とかやって来られたのである。
しかし、グローバリゼーションは人類が初めて経験する段階に入った。
このグローバリゼーションの徹底化の中で、その千数百年に及ぶ「島国根性」の歴史が果たして終わるのか、逆にそれが日本を衰退に追いやるのか、それともこれまで通り、「島国根性」を抱えたまま何とか乗り切ってしまうのか。
興味深く観察させていただこう。
大きな問題であることは事実である。ただ昨日書いたことを補足する意味も込めて言えば、10年や20年の短期的な視野で現象を見ることの限界も忘れてはならない。
文化史・文明史的に見れば、日本列島に住む人々が「外部」との関係において真の意味で積極性を見せた時は皆無といってよい。侵略性を露にした時代は言うまでもなく、正の意味での対外交流であるように見える、唐との交渉も「文明開化」も敗戦後の「民主日本」建設も、徹底的に正面から向き合ったというよりは寧ろ表面的な文物の「導入」に留まった――或いは留めようとした――といったほうが正確であろう。
あの列島に住む人は、幸か不幸か、「島国根性」でこれまで何とかやって来られたのである。
しかし、グローバリゼーションは人類が初めて経験する段階に入った。
このグローバリゼーションの徹底化の中で、その千数百年に及ぶ「島国根性」の歴史が果たして終わるのか、逆にそれが日本を衰退に追いやるのか、それともこれまで通り、「島国根性」を抱えたまま何とか乗り切ってしまうのか。
興味深く観察させていただこう。
雨のSofia
冬にも書いたが、雪や雨の日のSofiaは実に美しい。雨や雪が空気中の望ましくない物質を全て吸収して地上に降り立ってくれるため、特に春の雨は、首都としてはヨーロッパで最も緑地面積が広いというこの街の大木たちから発せられる緑と花の薫りで街をむせ返らせる。
この豊かな緑をさらに活かすような都市計画と交通規制・排ガス対策を行えばSofiaは世界一の都になる可能性を秘めている。
いずこも同じだが、行政の無能がすべてをぶち壊していることが残念である。
この豊かな緑をさらに活かすような都市計画と交通規制・排ガス対策を行えばSofiaは世界一の都になる可能性を秘めている。
いずこも同じだが、行政の無能がすべてをぶち壊していることが残念である。
供給過剰商品
今日の山崎元も面白い。経済評論家の不経済性。
マーケットを30年見続けてきた者から見れば、証券会社や銀行の20代や30代の若造が公定歩合がどうの為替がどうのと得意そうにペラペラしゃべっているのをかたはら痛く思うことがある。データは全て揃っているのだからそれを繫ぎあわせればそれぐらいの事は俺にだって言えるとこっちは思ってしまう。しかし、それらの青二才はともかく、やはり専門は専門で、山崎元や寺岡実郎などの書いているものを読むと、さすがに専門家だといつも感心させられる。
供給過剰な(いや供給過剰だと誤解されている)のは経済評論家だけでなく、日本語教育もそうである。母語が日本語だから、日常的に日本語が話せるから、日本語が教えられる、日本語について論じることができると思い込んでいる人が後を絶たない。それは別に母語話者に限らない。日本語をマスターしたから日本語を教えられると思い込んでいる「元-学習者」たちも同罪である。大変な努力をして日本語のような訳の分からぬ言語をマスターしてきた人たちへの敬意においては人後に落ちないつもりだが、しかし、日本語を使えるということと日本語が教えられるということとは全く別世界の話だということが分かっていない。
二足歩行できるからといって、歩行のメカニズムを正確に、しかも素人にも分かるように分かりやすく、解説できる人が殆どいないことを考えれば分かりそうなものだと思うのだが、これがなかなか分かってもらえない。
「二足歩行」と「運動生理学」が全く別概念であることと同様に、「日本語」と「日本語教育」もまた全く別概念なのである。
「日本語教育」というのは、教育内容が(「数学」や「運動生理学」と同次元に並ぶ)「日本語」であるところの「教育」という専門分野である。教育学を修めていない者に数学や運動生理学を教える資格がないのと同様、日本語を教える資格も(本来は)ないことを忘れてもらっては困る。
えらそうな事を言っているこの私にも、実は教える資格がない。教育学を修めてもいないし、教員免許も持っていない。「日本語」という科目を30年、大学で20年、担当してきた、という歴史だけしかない。
だから、私は日本語を「教えて」はいない。毎日教室で「遊んで」暮らしている。
。。。しかしまあ、絵に描いたような見事な腰砕けの文章になった。
マーケットを30年見続けてきた者から見れば、証券会社や銀行の20代や30代の若造が公定歩合がどうの為替がどうのと得意そうにペラペラしゃべっているのをかたはら痛く思うことがある。データは全て揃っているのだからそれを繫ぎあわせればそれぐらいの事は俺にだって言えるとこっちは思ってしまう。しかし、それらの青二才はともかく、やはり専門は専門で、山崎元や寺岡実郎などの書いているものを読むと、さすがに専門家だといつも感心させられる。
供給過剰な(いや供給過剰だと誤解されている)のは経済評論家だけでなく、日本語教育もそうである。母語が日本語だから、日常的に日本語が話せるから、日本語が教えられる、日本語について論じることができると思い込んでいる人が後を絶たない。それは別に母語話者に限らない。日本語をマスターしたから日本語を教えられると思い込んでいる「元-学習者」たちも同罪である。大変な努力をして日本語のような訳の分からぬ言語をマスターしてきた人たちへの敬意においては人後に落ちないつもりだが、しかし、日本語を使えるということと日本語が教えられるということとは全く別世界の話だということが分かっていない。
二足歩行できるからといって、歩行のメカニズムを正確に、しかも素人にも分かるように分かりやすく、解説できる人が殆どいないことを考えれば分かりそうなものだと思うのだが、これがなかなか分かってもらえない。
「二足歩行」と「運動生理学」が全く別概念であることと同様に、「日本語」と「日本語教育」もまた全く別概念なのである。
「日本語教育」というのは、教育内容が(「数学」や「運動生理学」と同次元に並ぶ)「日本語」であるところの「教育」という専門分野である。教育学を修めていない者に数学や運動生理学を教える資格がないのと同様、日本語を教える資格も(本来は)ないことを忘れてもらっては困る。
えらそうな事を言っているこの私にも、実は教える資格がない。教育学を修めてもいないし、教員免許も持っていない。「日本語」という科目を30年、大学で20年、担当してきた、という歴史だけしかない。
だから、私は日本語を「教えて」はいない。毎日教室で「遊んで」暮らしている。
。。。しかしまあ、絵に描いたような見事な腰砕けの文章になった。
2008年5月5日月曜日
「子どもの日」
日本の各紙では関連する社説が並んだ。
東京新聞「『つながり』を知るため こどもの日に考える」
毎日新聞「こどもの日 大人はもっとお節介になろう」
読売新聞「こどもの日 目と目を合わせて話そう」
朝日新聞「こどもの日に―白鳥も君も同じ命なのに」
それぞれアプローチは異なるが、共通する点が一つある。
子どもたちが「こころ」を失いつつあるという主張である。ヴァーチャル世界の発展により子どもたちが「仮想世界」と「現実世界」とを区別できなくなっているという視点もそれに付随して共通している。
しかし、少年期の「残酷性」は普遍的な現象である。現代日本に限った話ではない。他者との、「自然」との、「対話の必要性」は30年ほど前から叫ばれ続けている。「仮想世界」と「現実世界」との境界の識別は成人でも困難で、そもそもその二つの世界の区別が原理的には不可能であることは周知の事実だ。
大人たちにできていないものを子どもたちに期待しても、それは無茶な話である。
結局のところ、各社説から見えてくるものは、日本が閉塞状況にある、というこれまた周知の事実でしかない。
「限界」内であれこれ工夫したとしてもそこには養老孟司の言う「バカの壁」が厳然する。
現代日本が抱える最大の欠点は、一言で言えば、「温かさの欠如」だと思う。私の乏しい経験から判断しても、あそこほど「冷たい」社会はない。日本社会に暮らす人の多くはこれに賛成しないだろう。それは、養老の視点から言えば、「限界」内でしか思考していないからだ。
当面の処方箋は一つしかないと思う。閉塞状況を打破するにはその「限界」を多様化・多数化するしかない。
さまざまな「温かさ」をもって生きているさまざまな社会で育ったさまざまな人々にどんどん来てもらい――ここで「もらう」という表現を使う私の思考法にも同様の致命的な問題が伏在している、それは日本語で育った私の「限界」だ――、彼らと一緒に日本社会を再構成していくことである。
東京新聞「『つながり』を知るため こどもの日に考える」
毎日新聞「こどもの日 大人はもっとお節介になろう」
読売新聞「こどもの日 目と目を合わせて話そう」
朝日新聞「こどもの日に―白鳥も君も同じ命なのに」
それぞれアプローチは異なるが、共通する点が一つある。
子どもたちが「こころ」を失いつつあるという主張である。ヴァーチャル世界の発展により子どもたちが「仮想世界」と「現実世界」とを区別できなくなっているという視点もそれに付随して共通している。
しかし、少年期の「残酷性」は普遍的な現象である。現代日本に限った話ではない。他者との、「自然」との、「対話の必要性」は30年ほど前から叫ばれ続けている。「仮想世界」と「現実世界」との境界の識別は成人でも困難で、そもそもその二つの世界の区別が原理的には不可能であることは周知の事実だ。
大人たちにできていないものを子どもたちに期待しても、それは無茶な話である。
結局のところ、各社説から見えてくるものは、日本が閉塞状況にある、というこれまた周知の事実でしかない。
「限界」内であれこれ工夫したとしてもそこには養老孟司の言う「バカの壁」が厳然する。
現代日本が抱える最大の欠点は、一言で言えば、「温かさの欠如」だと思う。私の乏しい経験から判断しても、あそこほど「冷たい」社会はない。日本社会に暮らす人の多くはこれに賛成しないだろう。それは、養老の視点から言えば、「限界」内でしか思考していないからだ。
当面の処方箋は一つしかないと思う。閉塞状況を打破するにはその「限界」を多様化・多数化するしかない。
さまざまな「温かさ」をもって生きているさまざまな社会で育ったさまざまな人々にどんどん来てもらい――ここで「もらう」という表現を使う私の思考法にも同様の致命的な問題が伏在している、それは日本語で育った私の「限界」だ――、彼らと一緒に日本社会を再構成していくことである。
2008年5月4日日曜日
「愛」とは何か。
Eros, Philia, Storge, Agape... 古代ギリシャ人たちと比べ、「愛」に関して私たちの精神はなんと貧しい、限定された観念しか持っていないのだろう。
Vorsprung durch Technik
Vorsprung durch Technik
1933.05.01.
ドイツのメーデー。
政治の無能、メディアの無力、市民の「無知」の恐ろしさ。。。事後的には小賢しいことはいくらでも言える。
その時、そのクリティカルな瞬間を正確に分析し、適切な行動ができるか否か。大切なのは「今、ここ」にしかない。
Adolf Hitler will give you - ?
政治の無能、メディアの無力、市民の「無知」の恐ろしさ。。。事後的には小賢しいことはいくらでも言える。
その時、そのクリティカルな瞬間を正確に分析し、適切な行動ができるか否か。大切なのは「今、ここ」にしかない。
Adolf Hitler will give you - ?
2008年5月3日土曜日
専門家というもの
「職人」と呼ばれる人々の世界を含めあらゆる領域に当てはまる話だと思うのだが、何かを専門とする人々は、自分の専門、つまり自分でなければできない仕事にしか情熱を持ってあたることができない。
それ以前のレヴェルや他の者にでもできる仕事ばかりさせられていると、その者は腐っていく。
そのことが一般にはあまりにも理解されていない。結果として、職人は職人以外に理解し合う者を持つことができない。
それ以前のレヴェルや他の者にでもできる仕事ばかりさせられていると、その者は腐っていく。
そのことが一般にはあまりにも理解されていない。結果として、職人は職人以外に理解し合う者を持つことができない。
2008年5月2日金曜日
2008年5月1日木曜日
批評の終焉?
LATimesのPatrick Goldsteinがゲーム・映画・音楽の各領域において愛好者たちの多くがそれぞれの領域の専門家たちの「批評」をせいぜい販売会社の宣伝と同程度にしか尊重していない実態を紹介している。
The end of the critic?
この傾向はおそらく愛好者層の平均年齢や教養度、そしてマーケットにおける商品化度などに並行するものなのだろう。この傾向は引き続いて文学(日本ではショーセツと呼ばれ始めている)や美術(これもアートと呼ばれ始めている)に及んでいく。そして最後の牙城の「学問」というやつも安閑としてはいられなくなるだろう。
もちろん大半の「批評家」はGoldsteinの言うように読者から乖離してしまっている。それのみならず私は「専門家」たちの実力が実は自分たちが信じているほど大したものではないということが「世間」に見抜かれてしまっていることにも一因があると思う。私の知っていた「評論家」の器の矮小さや"pundits"たちの恐るべき無知などを思い出すと、世間の味方になりたい誘惑にも駆られる。
もちろん、社会・世界・地球レヴェルの問題を考えることのできる人間を育てる、という視点から見れば、この傾向が破壊的な効果しかもたらさないだろうことは明白だ。いつか(100年後か200年後か知らないが)人類がその愚かしさに気づく日が来ることを祈りたいが、その選択も彼らの能力の範囲の話だから祈ったからといって何かが変わる種類の問題でないことも明らかだ。
日本占領軍司令官のマッカーサーが退任演説の際に言った"Old soldiers never die,...just fade away."という言葉がある。「老兵は消え去るのみ」と訳されて日本では一般には諦念を表す慣用句としてよく使われる。しかし彼自身が意味したことを敷衍して考えれば、諦めでも失意でもなく、誇りをもって隠遁生活を選択するという道があり得ると思う。
The end of the critic?
この傾向はおそらく愛好者層の平均年齢や教養度、そしてマーケットにおける商品化度などに並行するものなのだろう。この傾向は引き続いて文学(日本ではショーセツと呼ばれ始めている)や美術(これもアートと呼ばれ始めている)に及んでいく。そして最後の牙城の「学問」というやつも安閑としてはいられなくなるだろう。
もちろん大半の「批評家」はGoldsteinの言うように読者から乖離してしまっている。それのみならず私は「専門家」たちの実力が実は自分たちが信じているほど大したものではないということが「世間」に見抜かれてしまっていることにも一因があると思う。私の知っていた「評論家」の器の矮小さや"pundits"たちの恐るべき無知などを思い出すと、世間の味方になりたい誘惑にも駆られる。
もちろん、社会・世界・地球レヴェルの問題を考えることのできる人間を育てる、という視点から見れば、この傾向が破壊的な効果しかもたらさないだろうことは明白だ。いつか(100年後か200年後か知らないが)人類がその愚かしさに気づく日が来ることを祈りたいが、その選択も彼らの能力の範囲の話だから祈ったからといって何かが変わる種類の問題でないことも明らかだ。
日本占領軍司令官のマッカーサーが退任演説の際に言った"Old soldiers never die,...just fade away."という言葉がある。「老兵は消え去るのみ」と訳されて日本では一般には諦念を表す慣用句としてよく使われる。しかし彼自身が意味したことを敷衍して考えれば、諦めでも失意でもなく、誇りをもって隠遁生活を選択するという道があり得ると思う。
登録:
投稿 (Atom)





