2007年12月20日木曜日

お休み

 今日からイタリア休暇でソフィアを留守にします。このブログには31日に戻ってきます。

2007年12月18日火曜日

"Secret War" is not over at all!

Old U.S. Allies, Still Hiding in Laos:A desperate life for survivors of the Secret War in Laos

ローマ帝国史

 あさってからのイタリアでの休暇に向けてずっとこればかり「予習」しているので、ブログに書くネタがない。申し訳ない。
 それにしても、勉強は楽しい。そして楽しみ。

2007年12月16日日曜日

リヨン・オペラ

 CATVのMezzoでJacques OffenbachのOrpheé aux Enfersを観た。
 ハエだかハチだかゴキブリだかのたくさん出てくる、面白く刺激的な演出だった。歌手陣も演技力十分の熱演で現代的な演出に応え、ダンスの振り付けも面白いものばかりだった。
 いつも思うのだが、こういうのをさせるとフランスの人たちにかなう者はいない。

Wikipedia vs. Knol

 情報をめぐる闘い。質の向上のためには競争は必要不可欠だ。それが公平・健全なものである限り。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7144970.stm

2007年12月15日土曜日

インフレ

 買い物に行った子どもが帰宅して開口一番「パンが下がってる。」
 レシートで確認すると、いつも買っているパンが0.72levaから0.69levaに下がっている。1ヶ月ほど前の価格に戻っているわけだ。
 たかが3円弱というなかれ。私たちが普段買っているものの中で、ソフィアに来て(セールを除き)値下がりを経験した物などこれまでなかったのだ。インフレは世界的現象だが、ここのインフレはひどいのである。
 こんな程度で少し得した気分にならねばならぬ哀れな小市民は、娘もよくできた娘で0.03levaの差に気づく。もっとも、ついでに(というよりこちらがお目当てで)買ってきたポテチとKitKatとコーラをいま傍らでガツガツ貪ってるわけであるが。
 

 降り始めた。天気予報は見てないが、今度のはこれまで以上に本格的なものになりそうな雲行きである。
 転んで頭を打たぬよう。ひどい風邪をひかぬよう。注意すべきはこの二点だけである。

ベートーヴェン『幽霊』

 バレンボイム・ズッカーマン・デュプレ。天才中の天才たちの若き日の火花散る物凄いトリオをCATVのMezzoでやっていた。
 魂が揺さぶられる、という慣用句はこのような芸術のためにのみ存在する。
 30年ほど前の収録だろう。FMをエアチェックしてテープが擦り切れるまでクラシックばかり聴いていた学生時代を懐かしく思い出した。

2007年12月14日金曜日

"The Solitude of Latin America"

Gabriel García Márquezのノーベル賞受賞スピーチ(1982)。痛切。

2007年12月13日木曜日

ブログの難しさ

 言うまでもなく情報管理をしながら書いているわけだからすべてを書くわけにはいかない。しかし、では公的情報のみ掲載していればいいかというと、そんな「情報提供ブログ」なら忙しい毎日の中わざわざ私までブログを持つ意味もない。
 「スランプ」を書いて以来、実に多くの反応をいただいた。
 少し弱みを見せれば心配をかけることになるし、いつもいつも強がっていては人間の声ではなくなる。
 私が悪名高い気分屋で、日単位どころか分単位で言う事の変わる奴だということを既に十二分に思い知らされている人でも、それがいざ活字になると、おおごとになってしまうらしい。
 難しいものである。
 しかし、おかげさまで最悪期は脱しつつあります。もうご心配なきよう。

2007年12月12日水曜日

「日本方式」

 私をよくご存知の方は私がナショナリストとは対極にある人間だということを知っているはずだ。
 その私が最近特に強く感じていることは、日本はなかなかよくやっている、ということである。
 現在の立場上詳論はできないが、日本人は、実に細やかな心配りをしながら仕事をする。こんなところにまで、と驚くほど細かい部分にまで注意しながら仕事をする。
 その日本方式を堅持している限り、スケールメリットを誇る21世紀の大国群に押し捲られる時代が来てもーーそしてそれは既に始まっているけれどもーーあの国はそう簡単には没落してゆかないのではないかという気がする。

スランプ

 ソフィアに来て5ヶ月になろうとしている。
 実をいうと、心身ともにあまりよい状態にはない。底を打ったのかどうかもまだわからない状態なので、少し心細いというのが正直なところである。
 週を追うごとに学生たちとの関係はよくなっているような気はする。少なくとも彼らが徐々に僕に「適応」してきてくれているという感触はある。もっとも、疲れている時に限って僕は授業中に躁状態に陥ることが多いので、にぎやかな授業になっているときは実は僕の内的状態はそれほどよくないということでもあるのだが。
 ごく少数の例外を除き労働状況も順調に推移していると信じる。この疲れは○○のせいだと原因を他に求めることも可能だが、それが僕にいささかでも脅威を与えるような存在でない以上、それもただの言葉でしかなく愚痴でしかない。
 親しい人たちは当然僕の状態の悪さに敏感で、色々と気分転換のための提案ややさりげない心遣いを提供してくれていて、その友情には本当に感謝している。その点で彼らのもつ温かさは格別のものである。
 しかし、いずれにせよ、外的な原因が存在しないとすると、この疲れは僕の内的状況に起因すると結論せざるを得ない。これは一体何なのだ。

2007年12月10日月曜日

Richard Dawkins

 むかし日本語訳で読んだ『利己的遺伝子』以来尊敬している科学者だが、きょうはBBCのHave Your Sayに出演して、世界中のキリスト教徒やイスラム教徒たちから集中砲火を浴びながら、一つ一つ誠実に応答しようと努力していた。しかし、当然ながら、対話が成立するはずもない領域である。ただ不毛な時間が流れていただけであった。
 テヘランとヴァティカン双方の最高宗教指導者を敵に回しているのだから、苦戦は必至である。異端裁判どころの話ではない。「真実」のためには狂信的暗殺者をも恐れないということか。本物の学者というものはこういうものなのか。
 ・・・しかし、まあ、よくやる。

猫(続)

 あれを読んだ何人かの人から、幸せそうだ、とかのんびりしてるね、という感想をいただいた。
 確かに、屋根の上で立ち往生している猫をしばし上から見ている余裕が今はある。
 ただ、こんな天気に、わざわざあんなルートを選んで、なんで、どこへ向かって、無理して移動する必要があるんだろう、とか、あ、ひと、いやネコのことは言えないか、とか、苦笑しながら観察していたことも事実である。

2007年12月9日日曜日

「歯に衣着せぬ」

とはこのようなことを言うのだろう。阿部眞之助(1953)「山縣有朋」(『近代政治家評伝』)。これだけ「明治の元勲」をこき下ろすことができるのは、やはり言論の自由を取り戻したばかりの敗戦直後だという時代状況があるのだろうが、それにしても「皇室」醜聞にまで踏み込んで書いている。このようなジャーナリストは現代の日本では絶滅した。

2007年12月8日土曜日

厚く霜のおりたトタン屋根の上を
そろそろと猫が行く
足を滑らせては途方に暮れて天を仰ぎ
正しい道を求めては天を仰ぎ
そろそろと猫が行く

若手日本語教師のみなさん

JENESYS 若手日本語教師派遣 募集

第2回例会終了

 Sofia日本語研究会第2回例会無事終了。前回の私の「思いつき」から何とか無理をして積極的に話を続けようと努力してくれたDarin Tenevに感謝する。
 もっと多くの人々にも聴いてもらいたいと思いながら聴いていた。深い思考と大胆な刺激を併せ持つ考察であった。無論私もたくさんの思考の「種子」を受け取った。
 おかげで、この研究会を続ける勇気が出てきた。

2007年12月7日金曜日

クリスマス

 今日は隔週にしてもらっている掃除の日だった。帰宅したら、各部屋・廊下・階段(私の寝室を除く。さすがに遠慮したらしい。)に飾りつけがしてあった。
 Аз съм материалист.(私は唯物主義者です。)と言ったとしても、何かが解決するわけでも事態が好転するわけでもないと知っている賢明な私は、彼女(いまだ名前を思い出せぬ)の好意を尊重し、すべてそのままにしてある。
 (「みなさん、「あの人もしばらく会わないうちにずいぶん人間が丸くなったものだ。」とはこのような時に使われる表現です。覚えておいてください。日本語能力試験には出ないと思いますが。」)

宇宙

(写真クリックで拡大:提供NASA)

「虚構」とは何か。「現実」とは何か。

Mirrors and copulation are abominable, for they multiply the number of men. (The Anglo-American Cyclopaedia)

学者も大変・・・

Top Ten Tips for Successful Networking

第2回例会

 Sofia日本語研究会。話題提供者はのDarin Tenev(Sofia大学文学部専任講師)。お近くの方はどうぞ。

2007年12月5日水曜日

成功したいの? じゃあ "Do your worst ! "

 余りにも馬鹿馬鹿しくて最後まで読んでいないのだが、こういうことを、中学生でなく、大の大人になってから教えてもらわなくてはならないというのは、実に悲しいことである。
Unhappy? Self-critical? Maybe you're just a perfectionist

2007年12月4日火曜日

Carolus Linnaeus

 ヒトはサメよりもはるかにメダカに近い。なぜならサメは骨を持たないから。系統発生論。
 リンネは「神」の創造の秩序を明らかにするために分類学を創始した。
 それが今では進化のプロセスを証明するものとなっている。
 今年は生誕300年だった。

オタワ地雷禁止条約

Cautious optimism for landmine

2007年12月2日日曜日

特別授業

 京都からお越しの後藤鶴翠氏による、書道・華道特別授業が無事終了した。大成功の部類であろう。Sofia大の、特に下級生にとっては、書道・華道ともに体験しながら学ぶという得難い経験となった。後藤氏に深く感謝する。
 また、貴重な花器等を快く貸してくださった日本大使館にも感謝する。

2007年12月1日土曜日

「サルの労働」

 おととい、ちょっとしたミスから、頭文字Pで分類してあった約15年分の文書の全てを失った。これまでで最大の損失である。
 目の前が真っ暗になるほどのショックであった。しかし、それがきっかけで、以前からロシア人の学生に「サルの労働」(とロシアでは言うそうだ)とからかわれていた、
宿痾の如きデータ収集癖からほんの少しだけ自由になる努力をすることを決心した。
 さて、私は「ヒト」への進化の道を選択することができるだろうか。楽しみである。

2007年11月30日金曜日

歴史

"History serves better as the mother of truth, rather than a truth unto itself." (BORGES, Jorge Luis. Pierre Menard, Author of the Quixote)

2007年11月29日木曜日

天の川

(写真クリックで拡大)
こんなの見たことあります?
Hathor

『日本語文型辞典』

 若手教師たちとの勉強会のたびに、改善したい箇所を発見する。少なくとも一回は改訂版を出してから死にたい。

京教大のクスノキ

 「戦友」の一人が送ってきてくれた。撮影者は栄光の京都教育大学職員野球部のホットコーナーを僕から引き継いだ長谷川君だそうだ。未だ人々の間に鮮烈に残る名手駒田の記憶を、スポーツ万能の彼がいかにして乗り越えていくか。楽しみなことである。
 それからなぜ最近子どものことがここに書かれぬようになったのかという質問があったが、特に深い理由はない。それよりも僕の勉強の記録を書くことのほうが大事なだけである。「親子喧嘩」でもない。(そもそも喧嘩をするためには「以前は仲がよかった」という前提が必要である。)
 彼女は毎日楽しく通学している。今日も放課後友人たちと日本の映画(9・10・11月は「日本文化月間」である。)を見に行くそうだ。
 

連合教職大学院

連合教職大学院「京都教育大大学院連合教職実践研究科」
設置決定。感無量。遥かSofiaの空よりエールを送る。

『リアリズムの宿』

 つげ義春の原作とは似ても似つかぬ世界だが、それなりに面白かった。タイトルは同じだが、全く異なる世界と思ったほうがよい。
 「ああ、日本ってこんなだったよなあ。」と観ながら何度も感じている自分を発見して、そのたびに少し狼狽した。日本を出てまだ4ヶ月にしかならぬのに、すでに日本は遠いものになっている。
 表層でのみにぎやかで、やかましくて、コミカルで、しかし実は深く静かに腐食の進む日本。
 主演の3人がよい。特にこの頃(2003)の尾野真千子の不思議な存在感は特筆に価する。

日本人

 ある4年生が言った。
「入学して2ヶ月の1年生たちの殆どは駒田先生以外の日本人を知りません。だから、最大の問題は彼らが日本人はみな駒田先生みたいな人ばかりだと思い込んでいることです。」
 これには笑った。

2007年11月28日水曜日

The Master and Margarita

 読了。
 読み進むに従い当初の興奮が冷めていく、残念な読後感となった。致命的な読み落としをしている可能性もあるので、最終的な評価は再読まで保留しておくが、大多数の人物が類型化されたものに終わる中で、Pontius Pilateのみがひとり忘れ難い印象を残す存在であった。

2007年11月27日火曜日

コメント歓迎

 『ブルガリア語-日本語/日本語-ブルガリア語 フリー・オンライン辞典』作業開始。
 序文にも書いたとおり、20年プロジェクトである。少しずつ、本当に少しずつだが、日々、加筆・修正・改良していく。
 ご遠慮なくどしどしコメントをいただきたい。

隣の芝生は・・・

 hiramieさんのルーマニア語習得が順調のようである。すばらしい。さすが。
 しかし、Sofiaのみなさん、それにひきかえうちの駒田は、というぼやきはご勘弁を。
 ついでと言っては何ですが、亡き父から子どもの頃何千回と聞かされた名言をお贈りします。
 「よそはよそ。うちはうち。」

2007年11月26日月曜日

辻邦生『背教者ユリアヌス』

 読了。
 古代歴史地図帳を傍らに置き、ユリアヌスと共に、ガリアからメソポタミアまでの広大なローマ帝国内を旅した三週間であった。
 自分がローマ帝国に強い関心を持っていること、ユリアヌスが駆け抜けた地域にいま自分が住んでいること、情緒的な人よりは知的な作家を自分が好むこと、等を差し引いて考えようとしても、この作品への私の評価はほとんど損なわれることはない。
 ひょっとしたら、二千年後、「自民族中心主義」や「国境」などが考古学の研究対象となり、叙事詩とは「自民族」の英雄しか扱うことの許されぬジャンルであるというようなちっぽけな考え方が跡形もなく消え去った頃、ユーラシア大陸の東端において日本語という言語で書かれた文学の筆頭にこの作品は置かれることになるのではないか。そこまで大胆な物言いを許すほどの普遍性をこの作品は確かな手応えとして持つ。
 ・・・
 ・・・
 ・・・
 はじめは手放しで褒めておいて、そのうち次々と粗が見えてきて、最後に後悔して終わる、という軽率さが、これまで何度苦杯をなめたか分からぬ私の大きな欠点の一つである。どなたか実際にこの作品を読んで、私の目を覚まさせてくれるような批判をいただきたい。

「自由意志」

 アケメネス朝ペルシャにおいて、恐らくゾロアスター教から齎された、人類への最大の贈り物。

2007年11月25日日曜日

「後期TIZIANO, Vecellio展」

 こういう、絶対に観ねばならぬ展覧会をある程度余裕をもって前もって知らせてくれるサイトなどはないのだろうか。誰か知っていたら教えてほしい。いつも気づいた時には遅すぎた、という愚を繰り返しているのである。

http://www.nytimes.com/2007/11/22/arts/design/22titian.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin

2007年11月24日土曜日

濃霧

 ここ数年、今頃から12月中旬まではSofiaはほぼ毎日霧が立ち込めるようになっているそうで、「今日も霧だ」という台詞は殆ど実質的意味を失っていることが分かった。だからもう言わない。

Veliko Tarnovo

 出張から帰った。
 仕事のあと歩いた街々は、美しい小道と坂に溢れていた。今回はそれらを楽しむことに徹し、写真は次回に期す。
 ごく最近発掘され、見たいと思っていた中世教会跡も見ることができた。

2007年11月23日金曜日

Saskia SASSEN

 いつもながら鋭い。一般にももっと読まれて然るべき人である。我々が生贄の山羊に甘んじることを潔しとしないならの話だが。
"Pakistan's two worlds"
"Lahore: urban space, niche repression"

中国・ラオス関係

 イデオロギーや地政学的位置等から歴史的に緊密な関係を保ってきた両国の更なる接近が顕著になってきた。
 支配的位置にあるラオ族とはイデオロギー的な共通性から、周縁に追いやられているモン族などの少数民族とは地政学的・民族的親縁性から、中国は絶好の位置にある。
 ヴェトナムやタイとの密接な関係も加速している。ミャンマーよりはるかに政治的柔軟性を持つラオスが最貧国グループから脱却する条件はほぼ整った。10年でASEANの中核国の一つになるだろう。

Maurice BEJART死す。

 思えば若い頃、彼のおかげで、身体芸術というものに関心を持つようになったことを思い出す。
 芸術は文学、絵画、音楽の専売特許ではないことを世界に教えてくれた一人だった。

濃霧。更に濃き。

 今日は日帰り出張でВелико Търново大学へ行くので3時起床。窓外は(二十数年前に山で遭難しかかった時を除き)これまで見たことのないほどの濃霧。片道3時間のバスの旅なんだけど、運行するとしてもこれでは3時間では済みそうにないな。

2007年11月22日木曜日

ONE HUNDRED YEARS OF SOLITUDE

 「百年の孤独」。Demonoidで英訳がダウンロードできて、ようやく、本当にようやく、読み始めた。思えばこれも、10年前Adelaideの知人に「Garcia Marquezをまだ読んでいないとは。それもあのONE HUNDRED YEARS OF SOLITUDEを・・・」と絶句された因縁のある作品である。
 まだ数ページ(それも英訳だが)読んだだけだが、冒頭から「文学の力」とも呼ぶべきものを感じさせる強度を持った作品であることがわかる。
 また一つ楽しみが増えた。

濃霧

 今日は朝から晩までSofiaは濃い霧にすっぽりと包まれた一日であった。
 われわれ徒歩組はともかく、ドライヴァーたちは大変だったようだ。
 今日もずいぶん事故があったんだろうな。

ネット依存症

aozoraさん(http://bemberski.blogspot.com/)とRoger Cohenは意気投合しそうである。
http://www.iht.com/articles/2007/11/21/opinion/edcohen.php?WT.mc_id=newsalert

『ブルガリア語-日本語/日本語-ブルガリア語フリーオンライン辞典』

 いよいよ壮大なプロジェクトがスタートした。現時点では編纂者の間だけのアップだが、近いうちに自分たちのサーバーを取得して正式に発足させる。お楽しみに。

オスロ・プロセス

 に関する記事。
http://www.opendemocracy.net/article/globalisation/institutions_government/cluster_bomb_disarmament

2007年11月21日水曜日

ダンス

 NGC 3808及びその伴銀河のNGC 3808A(写真クリックで拡大。提供:NASA, ESA, and the Hubble Heritage Team)

完全武装

 今朝は帽子とマフラーの完全防備で出勤した。
 帽子(ラオスの女性たちの草木染)もマフラー(20年前にエディンバラで買った安物)も今日ほどありがたいと思ったことはない。
 もっとも昼間は気温がかなり上がった。月末にかけて暖かさが戻ると予報では言っており、次の寒波到来は12月始めだそうだ。

2007年11月19日月曜日

カラスの舞

 授業の合間、窓を開けてタバコを吸っていると、一羽の小型のカラス(たぶんハシボソガラスの仲間)が妙な動きをしているのに気づいた。
 よく見ていると、何か白っぽいものを咥えて急上昇し、ある高さまで来るとそれを離す。それからそれが落ちていくのを急降下して追いかけ、地上すれすれで追いついて咥えなおし、再び急上昇。それを何度も何度も繰り返す。
 咥えているものが何かは分からなかったが、明らかに「一人キャッチボール」をして遊んでいるのだ。
 降りしきる雪の純白の中、美しい黒の舞であった。

厳冬突入

 きょうはこの冬一番の寒さなのではないか。出勤時、街を歩くに従い、露出している顔の部分がだんだんこわばってくるのがわかった。大学に着いた時には、大げさに言えば、唇と下あごが「凍って」動かなくなっていた。
 早々に帰宅したいまも、外はもの凄い音を立てて吹雪いている。
 八つぁん「まだ11月19日だよ。これからどうなるのかねえ。」
 熊さん「てやんでえ。上等じゃねえか。どっからでもかかってきやがれってんだ。」

クラスター爆弾禁止条約

 毎日新聞が社説できわめてまっとうなことを述べている。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071119k0000m070128000c.html

しかしまあ

 よく降るもんだ。
 雨、雹、雪、雨、雹、雪・・・
 この1週間ずっとこんな調子である。
 こうやって、ゆっくりと、これから待ち受ける本当に厳しい冬に向けての心構えができてゆくんだな。
 N.B. まだSofiaはましなほうで、ベオグラードでは雪のために土曜のヨーロッパチャンピオンズカップの試合が延期になったし、トルコやギリシャの各地では洪水や土砂崩れが報じられている。

2007年11月18日日曜日

THE ANALYTICAL LANGUAGE OF JOHN WILKINS

 ボルヘス。
 「中国の百科事典」"Celestial Empire of benevolent Knowledge"。
 大笑いしながら読み終え、おもむろに『言葉と物』に取り掛かるミシェル・フーコー。
 

Spencerian anarchist

 としての、或いは空前絶後のコズモポリタンとしてのBORGES, Jorge Luis。

Persona

 BERGMAN, Ingmar、1966年作品。
 20世紀にしか、1960年代にしか作ることのできなかった映画。
 ベルイマンを見てない奴はまともな学生仲間として扱われなかった時代が、確かにあった。

2007年11月17日土曜日

青木栄瞳『野性のセロリ』(1999)

 あまり詩集などは読んだことがないのだが、これはとても気に入っている。日本語という言語もなかなか捨てたものではない。

2007年11月16日金曜日

『南京新唱』

 會津八一、大正十三年作品。
 読み進めるうちに、春日野の鹿を詠んだ歌のところで、胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じ、驚く。

This Is Your Brain on Politics

 こういうのを、脳科学の進歩と言うべきか、蛸壺研究者がよく陥る「蟻地獄」と呼ぶべきか、ただのお遊びなのか。素人の私にはよく分からない。
http://www.nytimes.com/2007/11/11/opinion/11freedman.html?th&emc=th

Μια αιωνιότητα και μια μέρα

 ANGELOPOULOS, Theo、1998年作品。アンゲロポウロスにしては珍しく分かりやすい作品。それを「成熟」と取るか「妥協」と取るかは見方の分かれるところだろう。私としては前者と捉えたいが。
 しかし、私は、この作品に関しては、身につまされて――私という人間をよく知る人には頷けることだろう――何度見ても冷静な分析ができない。
 私も間違いなくこの種の最期を迎える人間だ。
 「明日」というものはどれほど続くものなのか。
 「永遠と一日」。

 今週はずっと曇天が続き、寒くなっている。
 今、屋根でカラカラ音がする。確かめずとも分かるようになった。雹である。
 長期予報通り、今冬が厳しいものになることは間違いなさそうだ。

電子文藝館:招待席

 日本ペンクラブが運営している。特に若い人や、日本語書籍が豊富に手に入らない所で日本語を学んで/読んでいる人たちにどんどん読んでもらいたい。日本語の文章世界は、一般に考えられているよりも、はるかに広く、深い。下記ページ最下部に「総目次」へのリンクもある。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/home.html#Mokuzi

2007年11月15日木曜日

會津八一「石」

 ある種の感懐で書き出し、古代中国の故事を引き、余韻を残しながら情緒的に結ぶ。
 ああ、日本の「随想」というのはこういうものだったな、とある種懐かしく思わせる趣のある文章。

2007年11月14日水曜日

『ファラデーの伝』

 愛知敬一1923(大正12)年作品。
 著者がマイケル・ファラデーの学問だけでなくその人生にも深い共感を寄せていることが読み取れる。
 日本史上稀有のリベラルな時代の空気をも感じ取れるように思うのは気のせいか。

「難民映画の人類学・地域学」

 お近くの方はどうぞ。
ーーーーーーーーー
【日本国際民間協力会(NICCO)】
京都大学、UNHCR、NICCO等の主催により「難民映画の人類学・地域学」が3日間にわたって開催されます。
世界の様々な難民を描いた映像の上映と共に、地域研究者、難民支援に関わる実務家等が、難民を取り巻く状況について語り、共に考えます。

日時:11月15日(木)・16日(金)・17日(土) (時間は下記参照)
場所:京都大学吉田南1号館 共311講義室(3F)
入場無料

1日目: 11月15日(木) 18:30-20:30
1.「ジョージ・クルーニー ダルフールへ行く」
2.「レフュジー・オールスターズ」
解説:栗本英世 (大阪大学グローバル・コラボレーションセンター長)

2日目: 11月16日(金)18:30-20:30
1.「サイクリスト」
解説:萩原宏子(NICCOインターン/京都大学総合人間学部4回生)
折居徳正(NICCO事務局長)

3日目: 11月17日(土)15:00-18:00
1.「インビジブル・チルドレン」
2.「さまよえるスーダン難民」
3.UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)製作シリーズ
「アフガニスタン-故郷での平和な暮らし」13分
「リベリア-新たなる闘い」9分30秒
「スーダン南部-解決に向けて」8分
解説:上月光(国連難民高等弁務官事務所)

パネルディスカッション
司会:阿部健一(京都大学地域研究統合情報センター)

パネリスト:
村尾るみこ(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 大学院生)
上月光(国連難民高等弁務官事務所)
折居徳正(NICCO事務局長)
宗田勝也(京都三条ラジオカフェ(FM79.7)『難民ナウ!』)
高松幸司(ジャパンプラットフォーム事務局長/ 京都大学地域研究統合情報セ
ンター)

主催:
大阪大学グローバル・コラボレーションセンター
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)
京都三条ラジオカフェ(FM79.7)「難民ナウ!」-世界の難民速報-
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
京都大学地域研究統合情報センター
科学研究費補助金基盤研究(B)「地域研究におけるメディエーションの実証
的研究」
映像なんでも見る会
京都大学「生態人類学」特別講義
※パネリストに変更の可能性があります。

お問い合わせ:
京都大学地域研究統合情報センター 阿部健一研究室 飯塚宜子
TEL: 075-753-9611 forum@cias.kyoto-u.ac.jp

朝の風景

 6時半起床。朝食及び弁当を作る。コーヒー・白チーズと蜂蜜のサンド・ソーセージサンド・ヨーグルト・ゆで卵。昇ってくる朝日を眺めながら身支度・朝食・メールチェック。
 7時45分出発。凍てつく道を転ばぬようしっかりと踏みしめながら歩く。ここで転んで頭を打って一巻の終わりでは、何のためにはるばるSofiaまで来たのか分からない。
 足下ばかりに集中していてもだめである。一度、樹上の雪をバサッと頭から被ったことがある。晴天だから、今降っていないから、と安心してはいけない。
 8時前大学着。守衛さんと挨拶を交わし3階の職場へ。すぐに湯を沸かしコーヒーを淹れて体を温める。掃除に入ってきたAlbenaと朝の挨拶を交わしながら授業準備。
 そして8:15授業開始。
 これが朝の私である。

2007年11月13日火曜日

 奇妙な夢を見て目覚めた。記録しておく。

 ところは中南米かアフリカ大陸。殖民者と思しき船員風のやくざ者二人。傲岸不遜な振る舞いはいずれ先住民たちの怒りを買うだろうという(どこからかは明瞭ではない)忠告に対し、「俺たちは白人だ。俺たちには銃がある。何人来ようが平気だ。」と嘯く。
 そして、軋轢は頂点に達し、戦いが始まる。殖民者は銃を乱射し、先住民は将棋倒しに斃されててゆきながらも、数的優位を活かし徐々に侵略者たちを追い詰めていく・・・

 ・・・と、ここまではありきたりの安っぽい殖民地解放・独立戦争物語風。
 夢はここからこれまで余り経験したことのない種類の展開を見せる。
 この手の「物語」風の夢を見る時、私はほとんどの場合超越的な立場に立ってその物語を見下ろす立場から見るか、ここはこう描写しよう、と作家の立場からその物語を物語る構造になっている。
 しかしさっきの夢では、私がある時は殖民者、ある時は先住民、と主体を交換しながら夢に参加していた。ある瞬間はテレビゲームよろしく先住民をなぎ倒しているのだが、次の瞬間には極めて弱い武器(何か紙のような武器とは呼べぬほどの代物だが、相手に触れると若干のダメージは与える)を用い、ジャングルという地の利を活かしながら二人の殖民者を「狩って」いる。そして最後の戦い。それは激しいものだった。私はきっと寝言と歯軋りと寝返りでベッド上でも暴れ回っていたのではなかろうか。その最後の戦いにおいても瞬間、瞬間において私は主体を交換していた。最後に、突然腹部に何らかのダメージを受けながらも、反撃して相手を斃し、しかし激痛(最初の腹部のダメージのものか、その後反撃されて斃された側の痛みなのかは判然としない)の余り私はそのまま意識を失う・・・
 そして、2週間後に意識を回復した時には、野戦病院の粗末なベッドの上。どうやら戦いは終わり、深手を負いながらも生き残ったらしい私は半身の姿勢で「夢」を振り返っている・・・

 ・・・と、ここで(恐らく)本当に目が覚めた。
 瞬時に主体を交換しながら夢を「生きて」いたこと。「夢中夢」的な入れ子構造の夢であったこと。これらの、それぞれ稀にしか経験したことがない二つのタイプの夢の共起が今回は興味深かった。
 
 ・・・だからといって、別にどうということはないんだけどね・・・

先ほどコメントをくれたNAGAI君への事務連絡

 メルアドがなかったのでここに書きます。
 君の送ってくれたコメントはご希望通り非公開にしましたが、それではもったいない(それに読者が数人しかいない孤独なブログなのでちょっとばかし「にぎやかし」がほしいという下心もある。)ので、固有名詞をイニシャルにするか○○先生に変えて、再度コメント投稿してくださいよ。

2007年11月12日月曜日

ほんとにどうでもいいことだけど、

 KusturicaのUndergroundを観ていた時に、「地下基地」でのBlackyの演説の中の"Last month we made 200 light weapons."と英語字幕では示された台詞の中に一箇所"komada"と聞こえる単語があった。
 これは数ヶ月前このブログでTonyaがモンテネグロで見つけたと報告してくれた"komada"と同じものじゃないの?軽火器を200ピース製造した、という、その"pieces"に当たるセルビア語(複数形)でしょ?違う?

Trilogy: The Weeping Meadow

 ANGELOPOULOS, Theodoros作品(2004)。
 アンゲロポウロスの作品はみんな好きだが、これもとても波長が合う作品だ。
 いつか詳しく論じたい。

2007年11月11日日曜日

朝焼け

(写真クリックで拡大)

2007年11月10日土曜日

Емир Кустурица

 昨日から2本続けて見た。Underground (Подземље: 1995)とBlack Cat, White Cat (Црна мачка, бели мачор:1998)。
 前者は最後の20分ほどで一挙に批判的な普遍性を獲得している。すばらしい作品だと思う。
 後者は最後まで救われない。独立して見ればそれなりに楽しめるのだろうが、
Undergroundを観た者の眼には物足りなさだけが残ってしまう。
 しかしいずれにしてもクストリッツァの作品はドタバタの面白さだけを目当てに見る者も満足させてくれることも事実。
 評価の高い初期の作品群も観てみるつもりである。

 この冬(ともう言っていいだろう)二度目のまとまった雪。今朝の降りかたなら、京都では十分「吹雪」だね。アルトコや学生たちと行く予定だったスケートも中止。
 心配してくれる人もいるんだけど、デンマークで一冬、福井で四冬経験している僕はこの程度なら何ともないよ。これから、となると、Sofiaの冬は初めてだからちょっと分からないけどね。

Norman Mailer死す

 帰宅したら1時間前にBBCから号外メールが来ていた。Wikipediaに行ってみたら、なんともう死亡日(つまりきょう)と共に死亡事実が記載され、BBCとNYTimesのObituariesがリンクされていた。そこらへんのメディアよりもよっぽど仕事が早い。あっぱれWikipedia。(とここまで書いたら今NYTimesからも号外が来た。Washington PostもBoston GlobeもLATimesもまだ何も言って来ない。ひょっとすると、号外の価値なしと判断しているのかもしれないが。)

Afghanistan: I Tesori Ritrovati

 すごい展示である。行けなくて残念だがお近くの方は是非。http://www.fondazionearte.it/afghanistan/index.php

ラオスの染織

LIAISON (http://homepage2.nifty.com/ft-liaison/)で下記の二つの催しが開かれる。お近くの方はどうぞお越しいただきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「珠玉の布-ラオスの染織展-」
日時:11月23日から12月4日(木曜定休、12時から20時)
場所:神戸市東灘区岡本5-2-4 フェアトレードショップLiaison
○テーマ東南アジアの桃源郷とも謳われる豊かな自然と人々の優しさに満ちた癒しの国、ラオス。多種多様な民族がそれぞれに育んできた繊細かつ力強い染織の知恵と技術をお楽しみください。
○展示内容・ラオ族族の伝統衣装:「シン」と「パー・ヴィアン」・絹織物:ショール、スカーフ、飾り布・綿織物:ショール、スカーフ、飾り布、儀礼用布(変更の可能性あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
談話会「ラオス農村の暮らしと染織、女性たち」
日時:11月24日13時から14時 (14時からは有料ですが、草木染ワークショップがあります。詳しくはhttp://liaison.way-nifty.com/
場所が狭く定員10名につき予約制にさせていただきます。
参加費無料。
お申し込み・問合わせ:fairtrade.liaison@gmail.com
○タイトル「ラオス農村の暮らしと染織、女性たち」
○内容優れた染織の伝統を持つ農村に1年間余り滞在した発表者が、 人々とともに過ごすなかで学んだ暮らしの知恵、 そして染織に励む村の女性たちの生き方をご紹介します。
☆発表者プロフィール:吉田香世子(ヨシダカヨコ)岩手県出身。「好きになってしまった」ラオスの社会・文化について学ぶべく、研究の道を志す。2003年から2005年までラオスに留学。北部の農村でフィールドワーク中に 女性たちの染織技術に感銘を受け、村おこし的な共同事業を試みる。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科在学。在日ラオス人との交流を深めつつ、ラオスの魅力をより多くの人々に伝えたいと試行錯誤の日々を送る。
078-431-2410 Liaison

2007年11月9日金曜日

Barton Fink

 COEN Brothers (1991)作品。
 私は自分がなぜ彼らやDavid Lynch、Luis Bunuelなどの映画作家にこれほど惹かれるのかに興味がある。ブラック・コメディと一括りにしていいのかどうか分からないが、その類のものが好きなこの私は一体どういう人間なんだろう。

Tres versiones de Judas

 BORGES, Jorge Luis (1944)作品。
 人類の真の救済者としての「裏切り者ユダ」。
 ボルヘスは言う。
"The ascetic
, for the greater glory of God, degrades and mortifies the flesh; Judas did the same with the spirit. He renounced honour, good, peace, the Kingdom of Heaven, as others, less heroically, renounced pleasure."

 けさ、裏山のVitoshaも遠くのバルカン山脈も冠雪していることに気づいた。
 短かった秋もこれで完全に終わったな。

Boum

" The echo in a Marabar cave...is entirely devoid of distinction. Whatever is said, the same monotonous noise replies, and quivers up and down the walls until it is absorbed into the roof. ‘Boum’ is the sound as far as the human alphabet can express it, or ‘bou-oum,’ or ‘ou-boum,’ -utterly dull. Hope, politeness, the blowing of a nose, the squeak of a boot, all produce ‘boum.
A crowd gathers with Mrs. Moore in the cave, and in the darkness, their cheerful voices produce a deafening and meaningless ‘boum.’ “The crush and the smells she could forget, but the echo began in some indescribable way to undermine her hold on life. Coming at a moment when she chanced to be fatigued, it had managed to murmur, ‘Pathos, piety, courage-they exist, but are identical, and so is filth. Everything exists, nothing has value."
-- from FORSTER, E.M. A passage to India.

「蔵書」

 私のハードディスクにはすでに200GB以上の「蔵書」が蓄えられている。文書が半分、映画を含む映像が半分、といったところだろうか。これまで10年ほどかけて、価値があると判断した文章を蓄えてきた。Sofiaに来て、直接・間接的にPetkoのおかげで3ヶ月という短期間に急に20GBほど増えた。論文中心だった僕の「蔵書」に特に映画と文学が増えたことに大きな意味がある。
 映像はともかく、文書のほうは死ぬまでに全部読めない量に達してしまったことは、これは間違いない。
 希望者にはいくらでもあげますのでご遠慮なく。ただしうちに来られる人で、かつメディアは持ってきてね。
 

辻邦生

 『背教者ユリアヌス』。最近寝る前にベッドで読み続けている。
 名前はよく聞いていても、なかなか縁がなく読んでいない作家がある。辻もその一人だった。成熟した静かな知性を感じさせる、日本には他にちょっといないタイプの作家である。他の作品も読んでみたくなった。

2007年11月8日木曜日

晩秋

 Sofia。
 風の朝。
 黄葉の散華。
 紺碧の空に。

 

2007年11月7日水曜日

問題の根源

 一昨日付のSofia Echoの記事の一部を転載する。
"Fukuda said that in Japan, Bulgaria was famous as country where people live long due to the yoghurt and the Bulgarian rose products. As a result, Japanese people consumed big quantities of yoghurt, he said."
(http://www.sofiaecho.com/article/2009-bulgaria-year-in-japan/id_25959/catid_68?bulletinstat=1)

 根源は奈辺に在りや。通訳能力? 取材能力? 編集能力? 側近のブリーフィング能力? 話し手の知性?
 ???

掃除事件

 月曜日の朝8時。
 いつもセンター中を丁寧に掃除してくれているАлбена(いつものАлбенаとは別人。念のため。)が今朝も職員室にやって来た。寝ぼけまなこの僕にいつもの元気のいい挨拶をしてくれて掃除開始。まず小さめの柄付モップで机や本棚の拭き掃除。
 僕の机はその朝いつも以上に資料で散らかっていたので今朝は拭いてくれなくてもいいなと思った僕は彼女に僕の机を指差して、ブルガリア語(らしき言葉)で
 「ココ、イイエ、アリガト。」
 「ヘンなガイジン」の多い職場で働き、(たぶん僕も含めた大半の教員よりも)異文化間コミュニケーション能力の高い彼女は、すぐさま、
 「机や棚を拭くモップと床を拭くモップはちゃんと別にしているから机を拭いても汚くならない。」
 と思しきことを、実物を使い、身振り手振りをふんだんに用いて、一生懸命話す。(彼女はたとえ「理解」できなくても「わかる」種類のブルガリア語を話す、すばらしい使い手である。)
 能力の低いこっちは、
 「ハイ。ハイ。モチロン! イツモ、アリガト。」
 と能のない返事しかできぬ。
 あれからも、いつ顔を合わせてもこれまでどおりニコニコ挨拶してくれているが、彼女を知っている人、誤解を解いておいていただけるとありがたい。
 言語も文化も異なる地での仕事は誤解・曲解・すれ違いが日常茶飯事でもう慣れっこになっていて、めんどくさいのでちっぽけなことはほとんどほったらかしにしてあるが、彼女のような人とはできればそういうことは引きずりたくない。

黒レンジャー?

 ブカレストのhiramieさん(http://blog.livedoor.jp/hiramie/)からバトンが来た(黒レンジャー?何それ。あ、説明しなくてもいいですよ、知りたいと思ってるわけじゃないから。)。関西で「ええ年こいて・・・」と言われる類の遊びだと想像されるが、他ならぬhiramieさんからだから特別に書いてあげる。でも、hiramieさん、こんなので「素顔」なんて分からんよ。自分でも理解できず、また覗き込みたくもない「素顔」の深淵。まして他者に分かってもらえるはずもない。

★身長は?

 161cm。

★身長に比べて体重は多いほう?

 標準。或いは少し痩せ気味。45才で始めたサッカーのおかげで、完璧な肉体を誇る。見たい?  

★体型は?

 同上。 
 
★髪型は?

 ボサボサハリネズミヘアー。
 
 ほとんど散髪に行ったことがなく、自分で学童バサミで風呂場で手探りで(格助詞「で」の用例一覧になったな。)切る。鏡を見ながらやるより安全なので「手探り」をお勧めする。危険といっても中指第2関節が血だらけになる程度。
 はさみを使うなんぞ年をとってずいぶん堕落してしまったが、以前は髭剃りでつるつるに剃っていた。このほうがもちろん簡単。
 櫛もブラシも整髪料も持っていないことからも「髪型」はご想像いただけると思う。

★目について語って

 自慢じゃないがこれほど目つきの悪い奴にはちょっとお目にかかったことがない。上記のつるつる頭のときは、出エジプト記よろしく、道を歩いていても人波がきれいに二つに割れたものである。
 
★顔について

 もう何年も鏡を見ていないので、ちゃんと覚えていない。
 
★誰に似てる?

 誰にも似ていない。しかし、3日間しかいなかったタシケントで何人もの人にジャッキー・チェンに間違えられた。それはいまだに謎。
 
★好みのものは?

 書物・音楽・絵画・映画(ただし最上質のものに限る。評価は限りなく厳しい。)


★涙を流す(流しそうになる)ものは?

 上記の好みのものにめぐりあえた時。だからこれまでほとんどない。

★自分の心に響いた話は?

 「心に響く」という言葉は無意味な言葉。だから回答不可能。
 
★一日で一番好きな時間は?

 上記の好みのものと一緒にいるとき。

★自分でどんな人に見えると思う?

 冷酷。我儘。そして、言うまでもなく、「滑稽」。
 
★このバトンを回す人

 「すみません、先生。「バトンを回す」の意味がよく分かりません。「バトンを渡す」は辞書にも載っていましたが。」

2007年11月5日月曜日

Сталкер

 Андре́й Арсе́ньевич Тарко́вский、1979年作品。
 魅力的な作品だが、私には少し観念が先走りしすぎているような気がする。
Ностальгия(1983)を超えるタルコフスキーにまだ私は出会えていない。

2007年11月4日日曜日

日本、クラスター爆弾の部分的禁止を提案へ

 えっと。。。2008年までに全面禁止するというオスロ・プロセスのほうはどうするの?
http://search.japantimes.co.jp/mail/nn20071104a3.html

Sommaren med Monika

 Ingmar Bergman 、1953年作品。
 夫の出張中に浮気相手と会うMonika。カメラがクローズアップ、背景は闇に変わる。画面いっぱいに大写しされたMonikaの、 こちら側の観る者をじっと見つめるあの眼差し。この作品を一度でも見て、あの眼差しを忘れることができる者はいないだろう。
 ゴダールがどこかに書いていた。
「女たちに愛されながらも憎まれる男たち。男たちに憎まれながらも愛される女たち。彼らを映画にできるのはベルイマンだけだ。」

愛すること

"Aimer à loisir, aimer à mourir."
("L'Invitation au Voyage", Baudelaire "Fleurs du Mal")

2007年11月2日金曜日

時間割

 大学に行かない日の過ごし方を聞いてきた人がいるので書く。
 業務・生活時間を除くと、たとえば昨日は、順に「日本文学(今は青空文庫を片端から)読解」「ブルガリア関係記事・論文読解」「ユーラシア史関係記事・論文読解」「哲学(今はアリストテレス『Metaphysics第5巻』)読解」「文学(今はボルヘス『
Three Versions of Judas』)読解1」「文学(今はブルガコフ『Master and Margarita第2部』)読解2」「人文学・社会科学関係記事・論文読解」「日本関係記事・論文読解」「科学関係記事・論文読解」、それに各科目の合間に気分転換を兼ねて『ブルガリア語‐日本語オンライン辞典』作業。仕上げは一日のご褒美に映画(昨日は『の森』)かスポーツ番組か音楽番組鑑賞
 上記科目を各1時間以内に区切ってやる。もっと続けたくてもぐっと我慢して次の科目に移る。一日完全に自由に使える日なら、上記9科目は必ずワンラウンドやる。偏らぬように、視野狭窄に陥らぬように。

訂正

 京教大のメールシステムに入れなくなったのはヴァージョンアップに伴う一時的なものだったようだ。(元)相棒が親切に教えてくれた。
 このアドレスに来るのはもはやほとんどジャンクメールばかりなのだが、しかし今見たら僕の新しいアドを知らないらしい他専攻の昔の卒業生からアド変更連絡が送られてきていた。
 使えないよりは使えたほうが、やはりまだいいのである。

また一つ。。。

 日本での痕跡が消えた。
 きょう京都教育大学のメールソフトにログインできなくなった。退職してちょうど7ヶ月。登録抹消である。 
 10年間毎日大量のメールを駆使して仕事をしていた愛用アドレスともこれでお別れである。
 やはり少し寂しいものである。

『殯の森』

 河瀨直美監督作品。忘れ難い印象を残す。と言っても、恐らく「俳句のようだ」と評する批評家がたくさんいると予想されるような、分かりやすい作品ではない。しかしよく観れば――そして日本のことをよく知っていれば――分析のための材料はすべて盛り込まれている。むしろ説明しすぎているきらいもある箇所がいくつもある。
 私にとってこの作品は、最後の10分、原生林を行く二人を追うハンドカメラの動きに尽きる。作品の総体としては決して高い芸術性を獲得しているとは言い難い。
 前から感じていることだが、カンヌ(の審査員たち)の好む(これは今年のグランプリ。河瀨は10年前には『朱雀』でカメラドールを受賞している。)種類の作品は概ね私の好みにも合う。要は、分かりやすさや親しみやすさ等よりも――たとえそれが部分的なものであっても――芸術としての普遍性を有するかどうか、である。

2007年11月1日木曜日

Alan Johnston

 HARDtalkのスタジオに戻ってきた。
 いつもはゲストに対して情け容赦のない質問をこれでもかこれでもかと浴びせる冷酷非情で鳴るStephen Sackurが、今回はまったく様子が違い、心の底から尊敬している相手と対しているという様子がありありとこちらに伝わってきて、それがまず面白かった。いつも通りのSackur節を出そうと努力しているのだが、如何せん相手はJohnston、質問も声も話しぶりもいつものあの鋭さが明らかに見られない。彼と再会できた喜びが、その無理のある渋面から垣間見える。
 そして、Johnstonのこれまでの取材に接してきたすべての人々の思いも同様であっただろう。私も例外ではなかった。いつもはこの番組はPCで仕事をしながら傍らのテレヴィからほとんど音声だけを聴いているのだが、今日だけは最初から最後まで見入り、聴き入った。
 誠実・率直・正直・自己抑制・気配り・批判精神・内省力、などの概念が具現化したような彼のいつもの姿がそこにあった。
 通常はいかなる時にも批判精神を失わぬよう努めている私だが、ちょっとこのインタヴューだけは数少ない例外になってしまった。
 4ヶ月もの間、生死の瀬戸際に立たされ続けるという尋常ではない日々を経験したAlan Johnstonは明らかに一際精彩を放つ存在となった。もはや、世界最高のジャーナリスト、という程度の男ではない。
 疑う方はいずれ下記にアップされるであろう収録をご覧になるがよい。
http://news.bbc.co.uk/1/programmes/hardtalk/
 彼は次に何をするのだろう。これからの仕事が本当に楽しみである。

いずこも同じ

 今から思えば、京教大での最後の2年間はGPと教職大学院のことしか考えていなかったような気がする。
 Sofia大でも、そういう仕事が始まった。変わったのは「競争的資金」獲得の宛先が文部科学省から外務省や国際交流基金になったことと、「戦友」たちの顔ぶれ、そして、所詮はお雇い外国人の身、直接の当事者にはなれずあくまでもお手伝いしかできないこと、ぐらいである。

新大使レセプション

 琴欧洲のお父上はさすが見上げるようなご立派な体格で手も大きく、握手も実に力強いものでした。
 よくテレビに出ている(とPetkoが教えてくれました)タレントも見ることができました。
 今日はミーハーでいってみました。

2007年10月31日水曜日

火曜日

 拘束時間12時間という地獄の火曜日を終えると、1週間のほぼ四分の三が終わったような感じである。一日の終わりにはへとへとに疲れているが、ストレスというものがまったくと言っていいほど、ない。
 幸いなことに、学生たちは週を追う毎に駒田の扱い方に習熟してきてくれているようで、週を追うごとにこちらもますます授業を楽しむことができるようになっていることがその最大の理由である。
 学生たちに感謝することはもちろんだが、勝手気ままな駒田流を容認してくれている同僚たちにも感謝しなければならない。

THE Nation

 「凄い」という日本語のイ形容詞はこの表紙のためにあるようなものだ。ダウンロードされてみよ。
http://www.thenation.com/covers/bush_mosaic/

2007年10月29日月曜日

YouTube

 指導・教育・宣伝...etc. その守備範囲は加速度的に広がっている。何か特定の領域で探すとして、良質のクリップに出会うまでが大変だ。そもそもその領域でその時良質のものがアップされているのかどうかさえ容易には分からない。人気コンテストではない種類の新たな評価基準が整備されれば、このメディアの将来性は大きいのだが。http://www.boston.com/business/technology/articles/2007/10/28/now_on_youtube_day_at_the_dentist/

2007年10月28日日曜日

ⒸMurakami

 あすからLAの現代美術館MOCAで始まる。最近特に論争を呼んでいる彼の動きは新しい「日本」なのか。単なる子供騙しなのか。彼だけはそこらへんの凡百のオタクとは違うと思いたいのだが。
http://www.youtube.com/watch?v=dr2Pb_47mYc

サマータイム終了

 3月最終日曜02:00~10月最終日曜02:00がサマータイム期間。
 慣れない我々はきょうほんの少し混乱した会話をしている。

2007年10月27日土曜日

DIAMOND, Jared. Guns Germs and Steel: A short history of everybody for the last 13,000 years

 縁のある書物である。
 数年前、勤務先の大学の生協から依頼され、取次業者の日販まで出かけて行って、学生たちに読ませたい書物を100冊ほど仕入れてきたことがある。その中にこの本の日本語訳があった。
 店頭に積まれたその書物を理学科の同僚の何人かが読み、さすが駒田さんの選書だとほめてくれた。いや、ぱらぱらと見てよさそうだと思って仕入れただけで実はまだこの中のほとんどは読んでない、と言って、自分が読了もしていない書物をみんなに薦めているのかと呆れられた(ほとんどは発売前のものだったんだけどね)。
 そういう記憶があってずっと読もう読もうと思っては、そのたびに先に読む書物が出てきたりして、ずるずると後回しにしてきた。
 そうこうしているうちにSofiaに来てしまい、当の日本語訳は日本に置いてきてしまった。
 ところが、今日もしやと思ってDemonoidで検索したら、原書があった。著者がNational Geographicと一緒に作った映像版(これがまたご推察通りすばらしい)もダウンロードできた。
 はい。今度こそ、読みます。

教員スト解除へ

 交渉が合意に達したという速報が入った。全国の組合は月曜に承認し、火曜日から授業再開の予定だという。5週間ぶりである。解除を今か今かと待っていた子どもも喜ぶだろう。

2007年10月26日金曜日

どうですか、読者の皆さん。

 24日付の「ヨーロッパ人としての教養」にかなり辛口のコメントを書いたら、2年生のMelliが穏やかな口ぶりながら強い反発のコメントを投稿してくれた(該当記事のコメント参照)。
 2年生である。今月2年生になったばかりの学生である。その学生がこれだけの反論を寄こすのである。
 私の遣り口を見抜き、それにきれいに乗っかって、見事に実力を証明しようとする、その知性と勇気に感動する。Melliの完勝である。私は完全に打ち負かされて、とてもうれしい。
 日本学専攻の諸君、これからも頼みますよ。 

Fearing Crime, Japanese Wear the Hiding Place

http://www.nytimes.com/2007/10/20/world/asia/20japan.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin

 ホントに平和な国である。



The Hollow Men

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow…
— T.S. Eliot, “The Hollow Men”

 今朝は特に濃い。こういうところにもСофияの高原性を感じる。

日本語研究会のためのメモ

 「自発」の根源としてのarchê (Aristotle, Metaphysics [1012b][34], [1013a][1])?

埋葬時の希望

 社会、宗教等により大きく異なるだろう。誰か比較調査をしてくれないかな。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2299734/2256798

2007年10月24日水曜日

ヨーロッパ人としての教養

 きのうショックなことがあった。
 優秀な学生が多いというSofia大学日本学専攻2年生クラス。語義の説明の際、例の中に「シャイロック」を出したら誰もその名前を知らなかった。驚いてよく聞いてみたら、高校の教科書にあった「ハムレット」を読んだという2、3人以外は誰もシェイクスピアを読んだことがないという。
 みんなとてもまじめで素直ないい子たちで、日本語の勉強ぶりも見上げたものである。このまま順調に育っていけば、ほとんどの学生が日本学専攻の学生としては世界のどこに出しても恥ずかしくない若者に育っていくだろう。
 しかし、シェイクスピアもまともに読まないまま人文系を卒業していくような学生は、少なくともヨーロッパでは知的職業には就けない。たとえ就けたとしても、充実した人生は待っていない。・・・と思いたい。
 彼らにはブルガリアを代表するエリートとしての誇りと責任感をもっと持ってもらいたい。
 日本語を含む3、4ヶ国語を自由に操ることができる、というような程度を目指しているようではだめだ、もっと自分の知的世界を広げる努力をしなさい、という昨日のような説教をこれからも時折することになりそうだ。

2007年10月23日火曜日

Encelados


土星の衛星エンケラドスから噴出する蒸気や氷の結晶(提供:NASA、写真クリックで拡大)

まっすぐなこと

 aozoracasa de hiramieなどのブログの良さは、肩肘張らず、素直に、まっすぐに、一生懸命に、生きようとしているその人の人柄がよく出ている点である。
 そのような、巧まずして滲み出てくるような魅力は、いつか花開くものである。

 

日本語教師

 教師により異なるのだろうが、ことばの意味を説明する際に、私は自分を例文に使うことが多い。
 例えば今日の3年生のクラスでの私は、「嫉妬し」、「妬み」、「羨み」、「恨み」、「恨めしく思い」、ついには幽霊となった。
 そのようなことを毎日のように繰り返す人生が、結果として一人の教師の中にどういうものを生まれさせることになるか。これはことばでは説明できない。できるところまで説明してみる、ということさえ無意味である。これだけは教師、ことばの教師、さらには私のようなタイプの教師にしか金輪際分からない。(ひょっとしたら役者なら分かってくれるかもしれない。)
 ことばにできぬものは、沈黙するしかない。

2007年10月21日日曜日

ギリシャ哲学

 きのうの研究会の最大の収穫。やはり古代ギリシャから考え始めなくてはならないということを再認識したこと。
 プラトンは日本語訳で一通り読んでいるので、これからはアリストテレスを少しずつ英訳で読んでゆくことにする。

東京新聞

 これまでにもたびたび紹介してきた「週のはじめに考える」。
 今日の「文字の言葉 音の言葉」も味わい深い。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007102102058024.html

恒星太陽

 aozoraさんが紹介してくれている。
 あったまる。

初雪

 Sofiaに来て今日でちょうど3ヶ月。ハネムーン期間が終わろうとしているちょうどその時に1回目の風邪。研究会を終えて帰宅した途端に急激な発熱。その夜は黒海からたくさん魚を買って戻った大家さんからМаги・Дапин夫妻と共に夕食の招待を受けていたのだが、辞退。子どもだけが行った。もう名代を務めることのできる年になった。
 6時間ほどぐっすり寝て今起きた。かなり回復している。雪がしんしんと降り続いている。屋根屋根は雪帽子を被っている。山間部では70センチの積雪が予想されている。
 厳冬予報が出、セントラルヒーティングのスイッチが入った今日、私の中でも、パチンと音を立てて、何かのスイッチが切り替わった。

2007年10月20日土曜日

時間と意識

 Sofia日本語研究会(http://nihongo-kenkyuukai.blogspot.com/)のきょうの話題提供のための準備をしていて気づいたことのメモ。
1.HusserlおよびHeideggerの時間論
2.日本語話者の意識の基底にある「時間」
3.Einstein
4.古代インド(仏教)における「時間」
5.「実体」と「出来事」

コンサート

 Международна фондация "СВ. СВ. КИРИЛ И МЕТОДИЙ"からご招待をいただき、創立25周年記念コンサートへ。
 プログラムは
1.『魔弾の射手』序曲
2.ブラームス『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102』
3.バルトーク『二台のピアノと打楽器とオーケストラのための協奏曲』

2.はいま調べるとブラームスが作曲した最後の管弦楽曲らしく、『第5交響曲』と呼ぶ人もいるらしい。彼の四つの交響曲はすべて愛聴しているくせに無知な私はこの曲のことを知らなかったが、簡潔でかつ充実した作品で叙情性もたっぷりある。隠れた名曲だと思う。若手のソリストたちもなかなかよかった。
3.のソナタのほうは聴いた記憶があるが協奏曲のほうは初めてだ、と思う。この夜のプロでは、私は実はこれが一番気に入った。 ん?オケの参加している意味は?と首を傾げたくなるような箇所がいくつもある曲なのだが、それはともかく、考えていたのは次のようなことだ。
 ユーラシアの東の端で聴いていたバルトークとここで聴くバルトークは聞こえ方が異なるような気がする。バルトークの祖国ハンガリーとここブルガリアはもちろんまったく違う国だし、言語も文化も違う。しかし今夜のバルトークを聴いていて、この二つの文化は繫がっている、連続している、というような感じを受けたのだ。若きソリストたちも活き活きしていてよかったし、オケも楽しそうにやっていたような気がする。自分たちの音楽をやっている、というような印象を受けたのだ。
 またいつもの単なる気のせいかもしれないし、ブルガリアの友人たちからは異論も出るだろうが、率直な感想だから仕方がない。一応ここに書きとめておく。

2007年10月19日金曜日

Margaritaの飛翔

 その描写は、例えようもなく美しい。

アルトコんち

 昨夜はАлбенаが取材協力したNHK「世界ふれあい街歩き――ヴェリコ・タルノヴォ」の鑑賞会プラス焼きかぼちゃその他のご馳走プラスПеткоからのファイル交換レッスンプラス子どもの数学相談会。
 最後は例によって日本学専攻の将来に関する激論。明日の仕事もあるというのにまた23時過ぎまでお邪魔していた。
 彼らと話していると時間がいくらあっても足りない。話が途切れるということがない。

留学報告会

 日本へ国費留学していた学生のうちの4名の報告がきのうあった。
 留学はゴールではなく、単なるスタートラインに過ぎない。それも留学前に考えていた位置よりも数歩下がったところからの再スタートである、ネガティヴな意味でなく。

京都教育大学

 京教時代――「時代」ということばがそれほど違和感なく使える段階になっていることに気づく――からの懐かしい友人からの久しぶりのメール。
 あの、クスノキの美しい立ち姿を想い出す。

2007年10月18日木曜日

BORGES, Jorge Luis

 読むべき/観るべき作品は山ほどたまっていて、それでいてそれなりに仕事も忙しい。いきおい、短いものから先に片付けていこうというさもしいことを考える。
 Даринがいま僕の考えていることに関連していると薦めてくれていたTlön, Uqbar, Orbis Tertius
を読んだ。たまっている中では最も短いものだったからだ。
 しかし、ボルヘスにはいつも騙される。その恐ろしいほどの学識が文字通り充満した作品で、おかげで一方で哲学史の簡単なおさらいをしながら読み進めるという羽目になり(もちろんそのおかげでさらに楽しくなるのだが)、また作品のあちこちにいろいろなヒントが詰まっているから、そこから思考が枝(いやむしろリゾームかな)のように縦横に伸びてゆくというように感じる経験もたびたびあり、結局読み終えるまでかなりの日数を食うという結果になった。
 あらためて、このボルヘスという男は本当にすごいやつだと思う。

Sofia日本語研究会第1回例会

Първа среща на кръга за изследване на японския език - София

あさって。いよいよスタートである。
http://nihongo-kenkyuukai.blogspot.com/

2007年10月17日水曜日

トラ、ハコフグ


@BBC


@National Geographic

こういうちっこい赤ん坊たちがいっちょまえの面構えを見せている写真が僕はとても好きである。

トイレ事件

 きのうの夕方、トイレに入ると個室のほうに人の気配がする。そのこと自体は不思議でも何でもないのだが、しばらくするとキャアキャア言いながら女の子が次々と個室から二人飛び出していった。
 さっき僕のクラスを終えたばかりの学生たちだった。女子トイレのほうがいっぱいだったから、と恥ずかしそうに言う。
 日本の大学なら(特に共学なら)100%ありえない現象である。
 ブルガリアはことほどさようにおおらかである。よろしいよろしい。

論文の助数詞はなぜ「-本」か。

 きのうДаринと昼飯を食いながらこの話が出た。ネットに下記のような説明があった。少し視点を変えて考えてみると一挙に視界が開けるような感じを味わうことがある。おかげで今回もそういうεὕρηκα を経験することができた。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1127379.html

2007年10月16日火曜日

オリオン座流星群

 今年も極大期が近づいてきた。幸い、今年からは条件のよい地で見ることができる。また、窓の面積の広いアパートなので仕事しながらでも待つことができる。楽しみである。

2007年10月15日月曜日

2007年10月14日日曜日

ブルガリア近代美術

Албенаと(Петкоはお父さんのお手伝いでお休み)Художествена Галерия(Sofia市立美術館)創立80周年記念特別展に行った。
 19世紀後半から20世紀後半までのブルガリア近代美術のラインナップは期待以上の逸品ぞろいであった(それでもАлбенаは各画家の代表作が揃っているわけではないと言う)。入場無料なのもよろしい。
 その中でも特筆すべきはИван Милев(
http://www.ivan-milev.com/ivan-milev.htm)という画家の存在を知ることができたことである。その出会いは衝撃的だった。彼の作品は3点展示されていたが、一目見た瞬間に好きになった。これから30歳で夭折した彼のことについても勉強するつもりである。
 Sofiaで美術館や博物館に行く時は雨天の時が多い(Албенаがそういう日を狙っているふしもあるが)ため、いつも入館者が少なく、実にゆったりと鑑賞することができる。これは作品を楽しむためにはとても重要な条件であることをきょうもあらためて認識した。
 帰り際、キュレイターの人が絵を観ている子どもの横顔をさらさらとデッサンして、その絵を子どもにくれた。
 この国は、多くの面でゆったりしていて――教師のストライキは3週目に入ったし、Sofia大学も11月からストに入る構えであるし、ドライヴァーの運転マナーは悪いどころか「ない」にもかかわらず――暮らしていてとにかく心地よいのである。

2007年10月13日土曜日

『庭三郎の現代日本語文法概説』

 参考文献が豊富に揃っているわけではないところで日本語を指導・勉強している人たちにはなかなか役に立つありがたいサイトだと思う。ちゃんとやりたい人は巻末の参考文献を手がかりに勉強を続ければよい。

http://www.geocities.jp/niwasaburoo/index.html

科学、教育

「科学のために」と書かれた施しを求める藁帽子。ブルガリア科学アカデミーの若手科学者たちがきのうもデモをし、科学研究・教育への政府予算の少なさを批判し、からかった。http://www.sofiaecho.com/article/protesters-measure-ministerial-stupidity-in-bulgarias-capital/id_25458/catid_66
 先月の24日から続く学校の教師たちのストはきのう全国から75万人(組合発表)が首都Sofiaに集まり大規模なデモを行った。きのうは一日Sofia中でシュプレヒコールが聞こえていた。今やブルガリアの教師の95%がストに参加しているという。
 政府は苦境に立っている、と思うのだが、内閣が事態をそれほど深刻に捉えていないように見えるのはどうしたことか。

2007年10月12日金曜日

タルコフスキー

 Petkoが3本をDVDに焼いてくれていたのを昨夜観た。Solarisはともかく、Stalker とZerkaloがロシア語なので隔靴掻痒(でも何か方法があると彼が言ってたような記憶もある。もう一度ちゃんと彼に聞いてみよう。)。タルコフスキーは大好きな作家だからそれなりに楽しめるが、やはりすべてを理解したくなるからね、地球上のあらゆる言語の中でも僕の十分マスターできていない数少ない言語の一つ、ロシア語。できるようになりたいねえ。

2007年10月11日木曜日

映画

 アルトコたちと短編映画の月例上映会を観に行った。大阪に昔あった大毎地下劇場のような感じの映画館。こういう映画を観に来る種類の人々は日本でもブルガリアでも、同じような感じの人々なのも面白い。
 僕にも国籍がはっきり分かったのは日本の作品2本、フランス1本、スウェーデン1本、イギリス1本、かな。他にも何本もあった。
 全体としての印象は、帰り道でアルトコにも伝えようと苦労したことなのだが、日本の2本(もっとも1本目はアニメと漫画のアイデアを感じさせる、もの珍しさだけの幼稚なものだった。2本目のRight Placeのユーモアに包んだ日本批判は鋭いものであった。)を除くと、ヨーロッパの(特に若者の?)行き詰まり感のようなものを、自閉、韜晦、二番煎じのようなことばで表せるような現れ方で繰り返し見せられているような、痛々しいということばは強すぎるかもしれないが、「しんどい」ものだった。端的に言えばアフリカやイランやアジアの若手監督たちの持つような、ほとばしるようなエネルギーがあまり感じられないのである。それは、ひょっとしたら歴史の呪縛のようなものなのかもしれない。
 その僕の印象はアルトコたちの同意を得られなかった。きょう僕が感じた違和感のようなものの根拠は何なのか。もう少し考えてみる必要がありそうだ。
 

 

2007年10月10日水曜日

2週目

 今日は朝の8時から夜の8時まで5コマの日。疲れるが、この火曜一日でワークロードをほとんどこなせてしまうということでもある。
 2週目に入り、調子が出てきた。学生諸君も最初の緊張が解けてきたようで、実に活発に発言してくれるようになった。先週、受け身で聞くなとちょっときつい言葉で挑発したものだからちょっと言い過ぎたかなと思っていたのだが、次に会った時には見事に期待に応えてくれる。さすがSofia大学の名門、日本学専攻の俊英たちである。
 なかなかよろしいんじゃないでしょうか。この調子で行きましょう。

2007年10月8日月曜日

ラオスの不発弾被害

 LATimesが取り上げている。
Laos still faces Vietnam-era danger http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-victims8oct08,0,3515225.story?coll=la-tot-world&track=ntothtml

2007年10月7日日曜日

アルトコ依存症

 ゆうべもアルトコのところに数学を教えてもらいに行っていた子どもがいろいろもらって帰ってきた。
 いまはAlbenaのお母さんが作ったクルミ入りバニツァを食べながらやはりAlbenaが買ってきてくれたというSofia歴史博物館作成のDVDを見ている。歴史も英語もブルガリア語も学べる便利な教材になりそうだ。このあとは、Petkoのお母さんが漬けたピクルスを食べながら、Petkoが焼いてくれたタルコフスキーのDVDを子どもと観る。
 もし彼らと出遭っていなければ、ずっとブルガリアに住もうかなどという考えがこんなに早く生まれることは絶対になかっただろう。まだ出遭って二ヶ月にしかならないが、二人の友情に深く感謝する。

2007年10月6日土曜日

Босой (bosoy)

 aozoraさんのコメントを読んでなるほどと思い調べていたら、下記の記述に出会った。aozoraさんの後者の説と同じである。
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Босой (bosoy) means barefoot in Russian, which points to his rural origin. Bulgakov had a low opinion of those "provincials who were being kicked upstairs".
In one of the earlier versions of the novel, Bosoy was called Nikodim Grigorevich Porot, of whom the first name would be a direct referral to Nikodemus, the author of the apocryphal gospel known as The Acts of Pilate.
Bosoi was arrested because the money he pinched appeared to be foreign currency. Currency speculation was a serious crime in the Soviet Union. Only tourists and priviliged Soviet citizens were, in a limited way, allowed to spend foreign currency in a берёзка (beryozka) or currency store.
http://www.masterandmargarita.eu/en/03karakters/bosoj.html
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 Bulgakovは確かに、こちらが読み込んでいけばいくほど、調べれば調べるほど、ちゃんと応えてくれる作家である。

Bulgakov

 この恐るべき、悪魔的な魅力の源泉は一体何なのだろう。私は完全にとり憑かれてしまっている。
 最初にその存在を教えてくれたKievのTonyaに感謝しなければならない。

The Master and Margarita

"chairman of the tenants' association"の名前がなぜBosoy(裸足)なのか。ロシア語の世界では何か含意があるのか。要調査。

アカペラ

 昨夜は子どものリクエストで二人でカラオケ大会。といってもウェブで好きな歌の歌詞を調べ、交代でアカペラで歌うというもの。
 気分転換にはなかなかいいかもね。それにこのアパートは音響効果がよくて上手く聞こえるし。

IF, by Kipling

 aozoraさんが紹介してくれている。http://bemberski.blogspot.com/
 「これは私だ。しかし、未然の私だ。」と誰もが考えるだろう。

2007年10月5日金曜日

BU-SHI-DO公演

ブルガリア公演は、10.25.のヴェリコ・タルノヴォ、10.27.のカザンラクの二箇所です。http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/news/0710/10-04.html

ジャガイモ

 ここのジャガイモはコクがあり、甘く、安く、うまい。その上しっかりしている(ここの野菜は何でもそうだが)ので、もう一ヶ月もスープで煮込んでいるがまったく煮崩れしない。日本の人はなぜこの品種が食べられないのだろう。かわいそうである。おでんや肉じゃがにもってこいの品種なのに。
 

ソフィア日本語研究会

 専用ブログが立ち上がった。http://nihongo-kenkyuukai.blogspot.com/
 今後の予定・報告等はこのブログに掲載される。よろしく。

『ブルガリア語-日本語フリーオンライン辞典』

 "П"の見出し語リストアップ終了。
 Petkoの友人が作ってくれている新しいプログラムがもうすぐ完成する。そうしたら新しいサイトに少しずつアップしてゆく予定。

2007年10月4日木曜日

村上龍『半島を出よ』

 膨大な取材に基づいた力業。
 この人にはいつの日か、いま外国で人気のあるような日本の作家たちのようなちまちました世界ではなく、個別事象を扱いながらもいつの間にか一気に普遍へと突き抜けてゆくような、そういう骨太の本物の作品を書いてもらいたいとずっと願っているのだが。

ブログ紹介

『理系白書ブログ』http://rikei.spaces.live.com/default.aspx
 毎日新聞科学環境部の記者二人のブログ。特に科学好きの人には面白く読めるのではないでしょうか。

Giuseppe Tornatore, "The Legend of 1900"

 存在そのものが「移動」であるならば、或いはその存在に「移動」そのものが組み込まれているような類の存在者であるならば、「移動」の必要はない、或いは、「移動」そのものが不可能である。

ブカレスト大も新年度開始

 ひらみえさんが丁寧な報告をしてくれている。
http://blog.livedoor.jp/hiramie/
 めんどくさいから詳細は書かないが、ソフィア大も同様の様子で新年度が始まった。

2007年10月3日水曜日

学校。

 ブルガリアでは教師のストが続いている。子どもの通う高校もきょうから無期限ストに入った。 
 子どもはというと、なんと学校に行けないのを残念がっている。
 一方でアルトコたちは大学の新学年度が始まるずっと前からそれを楽しみにしていたし、始まったら始まったでとても楽しそうに仕事をしている。
 学校が大好きな変人たちに包囲されて、私は完全に孤立している。

Yaltaの突堤

 







The Master and Margarita。
 Styopaが悪魔によって飛ばされる。実は私は以前その突堤を写真におさめていた。正確にはその下部だが(写真クリックで拡大)。
 どうでもいい話で恐縮ですが、きょうはあまり書くことがないので、「にぎやかし」。

またまたBARBARA EHRENREICH

 きょうは少しいつもの下品さが足りない。しかし、相変わらず辛辣。最高である。
http://www.thenation.com/doc/20071015/ehrenreich

バルカンの月

 いまバルカン山脈の上にとてつもない大きさの半月が現れた。こんな――「あんな」ではない。「こんな」である――に大きいのを見るのは生まれて初めてだ。

給湯器、製氷機

 なぜ「給湯機」ではないのか。なぜ「製氷器」ではないのか。
 「研究者」や「教師」はうれしがり、すぐさまへたな説明を始めようとする。
 「日本語」ともども地獄行き。

2007年10月2日火曜日

授業初日

 可もなく不可もなし。まあ、こんなものでしょう、僕程度の教師なら。

フェアトレード

 大企業でも広がりつつある。そういう時代になりつつある。
http://www.nytimes.com/2007/10/02/business/worldbusiness/02trade.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin

入学式

 まあスタートとしてはそれほど悪い出来ではなかったのではないでしょうか。
 明日は8時から(!)新入生の最初の授業です。ひらがなはまだなので「Kon'nichiwa」から入ります。新米教師だった30年前を思い出しますねえ。

2007年9月30日日曜日

Планината Витоша

 アルトコや学生諸君とヴィトシャ登山。帰宅したときはさすがにくたくただったが、とても楽しかった。みんなありがとう。(写真クリックで拡大)






























古代氷河の氷堆石から成るStone River。
                        











何の糞?

2007年9月28日金曜日

国際交流基金の催しの紹介二つ

関心のある方はどうぞ。
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◆国際交流奨励賞・日本研究賞受賞記念 エセンベル教授講演会
【京都会場】
テーマ:「世界史から見た日本とトルコの関係」
日時:10月5日(金) 14:40~16:10
会場:立命館大学衣笠キャンパス 恒心館721号(京都市北区)
言語:日本語
*入場無料、事前申込必要。
【東京会場】
テーマ:「アジアのムスリム・ネットワークと日本」
日時:10月9日(火) 16:00~17:30
会場:法政大学市ヶ谷キャンパス 九段校舎4階 遠隔講義室2 (千代田区)
言語:日本語
*入場無料、事前申込必要。
http://www.jpf.go.jp/j/jfic/news/0708/08-02.html

●4.第13回フェロー勉強会(10/11・赤坂)
ジャパンファウンデーションでは、海外からの日本研究者をフェロ
ーシッ
プ・プログラムにより日本に招へいしています。その研究成果の発
表の場
として、フェロー勉強会を実施しています。
講師:ステラ・トドロバ氏(ブルガリア/農業大学 准教授)
日時:10月11日(木) 15:30~17:30
会場:ジャパンファウンデーション JFICコモンズ
テーマ:「戦後日本、ブルガリアにおける農業改革政策の変遷につ
いての
諸側面について」
言語:英語(通訳はありません)
*入場無料、事前申込必要。
http://www.jpf.go.jp/j/intel_j/news/0709/09-02.html

「ヨウタウロン 春夏秋冬 あいうえお」

 全編字幕付きなので、アルトコも言うとおり、いい日本語教材になりそうだね。そこらへんのゴミ教材よりもことばがはるかに躍動している。共通語よりもはるかに美しい(少し変なのも混じってるけど)上方語も学べる。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%A5%E5%A4%8F%E7%A7%8B%E5%86%AC%E3%80%80%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%88%E3%81%8A&search=Search

国際交流基金日本語教育指導助手募集

我がソフィア大学にも来ていただく予定です。締め切りは10.19.必着ですのでお急ぎ下さい。http://www.jpf.go.jp/j/volunteer_j/japan.html

「ラーメンズ」評

 すべてのネタを見たわけではないが、YouTubeで十数本見た。
 「QアンドA」・・・A
 「ヨウタウロン 春夏秋冬 あいうえお」・・・Bプラス
 「バニーボーイ」・・・B
 「土下座」・・・C
 「初男」出だしのみA それ以降はF
 その他のネタ・・・F

 大半は芸もネタも幼稚。潜在的にしかまだ見えてこない豊かなはずの才能を開花させられるかどうかの重大な岐路にある。このレヴェルまで来て、そのまま消えていった芸人は上方ならゴマンといる。

教師のストライキ

 四日目に入った。子どもの通う高校はきのう終日ストをやった。
 きょうはShumenとBurgasの二つの都市の教師たちが教師の「尊厳とイメージに損害を与えた」として首相と教育相に対する民事訴訟を予定しているというニュースが出た。
http://www.novinite.com/view_news.php?id=85777
 
まだ僕の知らない様々な事情があるのだろうが、教育・医療などの国民の幸福の根幹を成す領域に投資をしない限り持続可能な発展は不可能であることは自明の理である。

「夜更けのキッチン」

 casa de hiramie(http://blog.livedoor.jp/hiramie/)の「夜更けのキッチン」。
 泣かせる。

2007年9月27日木曜日

Mozilla Firefox2

 Petkoの薦めでブラウザをInternet Explorerから変更した。操作性・スピードもこちらの方が格段によいし、その思想にも共鳴できる。http://www.mozilla-japan.org/products/firefox/

ホワイトチェリーのジャム

 アルトコのどちらかの、おばあちゃんかおかあさん(すみません。大混乱してます。)の手作りのジャム。うちの窓際で育ったヨーグルトとよく合います。

濡れ髪と脳膜炎

 ここには特に冬、濡れ髪のまま外出すると脳膜炎になるという話があるそうだ。
 頭部が急激に冷えることによって血行障害を招きやすいということなのだろうか。
 他の国にもこういう話はあるのだろうか。

ファイル交換

 Petkoに教わりながらmininova(http://www.mininova.org/)でのファイル交換にそろそろと足を踏み入れ始めた。こういう世界にも、或いはこういう世界だからこそ、いろいろと仁義があるようだ。それが面白い。
 さっき子どもはHarry Potterの最新作(ロシア語字幕)を楽しんでいた。いま私はPolanskiのMacbethをダウンロード中だ。
(N.B. 個人の楽しみのためのファイル交換はブルガリアでは完全に合法化されている。それも人々の運動によって法制化が実現したという。すばらしい。)

感謝デー

 私が顧問をしているフェアトレードショップLiaisonで10月から始める。よろしく。

ロルカのソネット

 aozoraさん(http://bemberski.blogspot.com/)がすばらしい詩を紹介してくれている。
 翻訳で読んでも、もちろん実にすばらしい作品だ。
 しかしやはり彼女も言うようにスペイン語で読みたくなる。

 私のこれまでの50年の人生で後悔していることは無数にあるが、その中の大きなものの一つ、それも最近特に感じていることは、若いころに外国語の勉強が足りなかったことである。
 そのせいで、私の内的世界は、救いようのないほど小さく、狭い。

Кавърма

 日本で言えば「いなか汁」(そんなものがあるとすれば、の話だが)。そのうまさには感動する。ふるさとの極東の島を思い出す。
 ユーラシアが切れ続きに繫がる一つの実体だという証拠がここにもある。

退路を断つ

 というような悲壮感は微塵もないが、日常生活用の1ヶ月定期預金口座とは別に、きょう36ヶ月定期預金口座を開いた。満期日は3年後のきょう。どう転んでも専門家の任期を過ぎている。来月以降の貯金も(より有利な口座が現れない限り)この口座で運用することになる。
 私はここに住み続ける構えを形成しつつある。住み始めてたった2ヶ月でなんと気の早い、という声も聞こえてくる。しかし、これだけは本人にしか分からない勘のようなものだ。そして、私はこれまでその勘がほとんど――と殊勝に振舞っておこう――外れたことがない。

2007年9月26日水曜日

NYTimes

 これまで有料だった一部の記事をようやく無料にした。
http://www.nytimes.com/
 
 too lateではあるが、too littleではない。

ヨーグルト

 Petkoのおばあちゃんの(だったかな。色々もらっているので分からなくなってきた)ヨーグルト。おいしいの一言。それにこれまでの僕の作り方もおそらく基本的に間違っていなかったらしいということも分かって二重にうれしい。もっとも、おばあちゃんのヨーグルトのほうが格段においしいのでこれからは種はこちらを使うことにする。

中秋の名月

 という表現に当たるものがブルガリアにもあるかという質問を寄せてくれた人がいる。
 人間というものは地球上のどこに住んでいようが基本的にはほとんど似たようなものだから、月の美しさを愛でる心性がブルガリアには存在しない、ということは原理的にありえない。しかし、さて表現としてはどうだろう。存在するのだろうか。また他の言語ではどうだろう。教えてください。

お呼ばれ

 アルトコんち。Petkoの手料理、うまいビールやワインのご馳走は言うに及ばず、とても楽しい語らいであった。子どももとても楽しんでいた。気づいたら日付が変わっていた。ごく近所だからすぐ帰れる。今度も明るい交差点までPetokoが送ってくれた。

 彼らとの語らいを僕がいつも楽しみにしているのはただ楽しいからだけではない。楽しさを求めるなら相手はほとんど誰でもよい。ここの人たちはすばらしい会話の名手たちだから。
 しかしアルトコたちのように常に前のめりに生きている若き努力家たちとの対話は、こちらにたくさんの新しい知識や視点、世界観を与えてくれるのみならず、相手に相応しい話し手になろうという想いを不断に持たせてくれる。そして更なる努力を自らに課すことができる。
 教育にも当てはまることだが、これを仮に友愛の弁証法と名づけておく。

2007年9月25日火曜日

Symposium of Mon studies at Chulalongkorn University

 10月11日から三日間開催される。関心のある方は行って下さい。あとで報告をいただけるとありがたい。
http://www.southeastasianarchaeology.com/2007/09/25/symposium-of-mon-studies-at-chulalongkorn-university/

渡日国費留学生「壮行会」

 日本大使公邸で開かれた。ブルガリアを代表する俊英14名を送り出す。
 昨年まで彼らを迎える立場にあった僕が今は送り出す側にいることに一種の感慨を覚える。
 そういえば昨年までは、意地悪く言えば、さてこの学生はどんな教師たちのもとで学んで来たのかな、という眼でまず学生を迎えていた。今は、ひとりひとりの学生たちに対して、彼らの日本での指導教員がいい教師であるようにと、心の中で祈る立場にある。
 これが傲慢な見方であることは認めるが、もちろん自分もその埒外にあるわけではない。責任をもって教育する、ということはそれほどシビアなものだということを言いたいだけだ。

 なお、パーティの際、いまは子どもと二人暮らしであることを聞いた大使夫人が手ずから子どもにお土産を下さった。感謝する。

真夜中の数学

 ああでもないこうでもないと言いながら子どもと一緒に四次式の因数分解と格闘する。
 C'est aussi la vie.(合ってる?)

Iapetus

土星の惑星イアペタスの赤道を通る山脈(提供:NASA/JPL/Space Science Institute)。どうして僕はこういう写真がこんなに好きなんだろう。 (写真クリックで拡大)

ローマ。

 ことし2760歳なんだってね。おいくつになってもその魅力が失われない。ひれ伏しちゃうね。

2007年9月24日月曜日

けやきКеяки

 「ソフィア日本語研究会」という正式名称もまだ仮称なのだが、愛称として「けやきКеяки」が提案されてきた。
 僕も木の中では最も好きな木だし、ソフィアにもたくさん「住んでいる」木だ。賛成する。
 正式名称・ブルガリア語名・愛称、いずれも第1回例会のときに正式決定するのがいいかな。

Саздърма

 要するに塩漬け肉だが、きのうアルトコのところで子どもがいただいた朝食に出たそうで、とてもおいしかった(出たものはすべてとてもおいしかったと感激していた)というので近くのスーパーで探して一番よく似ているというのを買ってきてさっき食べてみた。
 おいしいが、ちょっと違うと言う。そもそもСаздърмаではなかったのかもしれない。

2007年9月23日日曜日

Oktoberfest

 今年も大騒ぎが始まったようだ。23,4年前にDieterやEviに連れていってもらった時を思い出した。あれからも彼らには何度か会っているが、誰にとっても青春のいい思い出になっているようだ。あんな馬鹿騒ぎはもう誰もできないだろう。
 そして、これからはもう少し頻繁に、もう少しくたびれた、中年同士の付き合いになる。

存在の強度

 コミュニケーションは言葉に尽きるものではない・・・
 そばにいらっしゃるだけで皆が心強く感じる・・・
 そのようなことばに十全に耐え得るか、君という存在は。

 

Terry Pratchett

 アルトコが僕の無知に呆れてWYRD SISTERSを買ってくれる。
 こんなことばかりである。

天国と地上と

 Кирил Радевの一周忌
 彼が切り拓いた道
 あとに続く多くの人々
 たしかに天国と地上はつながっている

2007年9月22日土曜日

第18高校新年度第1週終了。

 ブルガリア語はもちろん大変そうだが、子どもはすっかりクラスになじんだようである。
 帰ってきてからも、うるさい。

ソフィア日本語研究会

 アルトコ(AlbenaとPetko)が研究会のブルガリア語名を考えてくれた。
 "Кръг за изследване на японския език - София"
 いかが?

2007年9月21日金曜日

引越し終了

 本日よりここで書きます。
 これまでのブログはhttp://demining.cocolog-nifty.com/にあります。